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武道館のそばを通り北の丸公園を通り抜けて東京国立美術館へ藤田嗣治絵画展を見に行きました。開催千秋楽とあって入館まで長蛇の列に加わるハメになりました。
色々な前評判を見聞し、もう二度とは見ることが出来ぬであろう高名な画家の実物作品をやっと目の前にしましたが、直ぐに自分の好みには合わない絵画だと感じ、期待していただけに至極残念でした。
時代を追うごとに絵に深みが増している事くらいは素人の目にも分かりますが、ほとばしるような情熱とすさまじいばかりの迫力に満ちた戦争画を描いた画伯が、フランスのそれも主に女性の絵を描くようになったのは何故でしょうか。戦後画壇ばかりか国からも追われるようにフランスへ移って永住し、日本国籍まで放棄することになった事も影響したのでしょうか。
評論家は彼の描く女性の肌の色が、これまでとは異なり独特の色合いを放っていると誉めそやしますが、私にはどうしても生き生きとした若さや華やぎ、爽やかな色気といったものが殆ど感じられないばかりか、添え物のように描かれたねこの目や輪郭が殊更のように線描きで強調されている事にしろ、作品全体から浮き上がっているように見えてなりません。
あの心を揺さぶるような迫真の戦争画だけを採り上げても藤田画伯が世に稀な傑出した画家である事には疑いの余地がありません。
しかしそれだからこそ戦後その戦争画にまつわってあらぬ難癖をつけられたうえ故国を後にせざるを得なくなり、その結果あの情熱が滾るが如き類稀な画風は失われ変わったのだとするならば、現在の高名を以ってしても実に残念であったような気がしてならないのです。
そんなことを感じながら本館4〜2階の常設会場の作品を見て廻りました。しかしそこに展示されているものの多くは、私たち素人にすれば殆ど理解し難い抽象的作品でした。
一体国立美術館とは誰のために造られたものでしょうか。その分野の専門家のためではなく、高名な芸術家の作品の保管庫などでもなく一般国民を対象としたものならば、もっと素直に美しい、素晴らしいと感動できるものを多く展示するべきではないでしょうかねえ。
作品を前に一々説明書を読んでさもしたり顔に頷いてはみても、心の中では一体何を表現しているのかと迷い訝るような作品が多いと感ずるのは、センス卑しき輩の僻みなのでしょうか。
今度はそんな事を考えながら三宅坂から半蔵門に向けて千鳥が淵沿いに歩いてみれば、土手の桜並木は今や盛りと八重桜が美しく咲き誇っているではありませんか。
並木の下から木を見上げれば、青い空に八重の花をいっぱいに付けた桜の枝が、美しくも重たげに揺れていました。淵の水面へせり出すように、アメリカハナミズキも負けじと美しく満開の花々を広げていました。
人々が心からアア綺麗だ!素晴らしい、やっぱり来てよかった!と素直に感動出来る、そういう美術館であって欲しいと花を眺めながら又思いました。 |
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