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たかが一人、されど一人

嘆き節 

2017年05月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

最近、大学を卒業して最初に入った会社の総務部長のことがよく思い出される。小さな広告会社だったが、営業主体で一種のサービス業、何事も顧客ありきだった。当然ながらトップはやり手の営業マンで、総務部長は同じ大学の出身、年齢も似たようなものながら全く異なる人格だった。総務部長と言っても業務的には経理も兼務していたから、業務量的には経理のほうが多かったかもしれぬ。会社全体が何となく体育会系の雰囲気がある中で、総務部だけは男子社員は一人だけ、残り4人か5人の女性に囲まれ、いつもニコニコと温和な顔で雑談にふけっていたような印象である。算盤をせわしなくはじく姿も記憶にないし、自ら銀行に出向くなんてこともめったになかった。毛筆が達者だったので、総務部長直筆の辞令がつい最近まで手元に残っていた。トップは飲酒をこよなく愛していたが、総務部長はお酒が全くダメだったのも印象に残っている。時折り営業のサポートで、我々若い営業マンを部長の友人がいる会社に顔つなぎをしてくれることがあった。新米だった小生には大変ありがたい話で、部長からの指名には喜んで従ったものだ。一緒に外出して用事が済むと必ず喫茶店に誘ってくださる。そんな折に伺った話の一つが今脳裏に強く蘇えってくる。「君ね、もう私なんか会社の役には殆ど立たないようなものだが、それでも存在することで少し役に立っているのかもしれない。」その時は営業が会社の命運を決するくらいに勘違いしていたので、あまり深く感じもせず聞き流したが、年を経るごとに総務部長の仕事の大変さが徐々に理解できるようになったが、そのことはさて措こう。思うのは老人の存在意義、即ち社会のお役には全く立たない己の存在である。確かにこの歳になると人様に迷惑をお掛けすることが無いことを願いつつ自分の好きなこと、やりたことをするしかない。しかしこれが意外に難しい。生涯を貫く趣味のようなものがあればいいのだろうが、そのようなものも無く、さりとて社会奉仕をするほど高尚な精神も持ち合わせない。仕方なく日毎ブログを綴って自己満足しているが、これも連れ合いから見ると、人様にご迷惑を掛けることはあっても褒められることは一つも無く困った暇潰しだそうだ。嗚呼

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