メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

北軽井沢 虹の街 爽やかな風

小説「ルオムの森」 

2017年07月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し





ある日、私は「ルオムの森」という小説を書く約束をした。超短編小説で終わるか、短編小説となるか、中編くらいまでいくか、さっぱりわからないけれど、遊び心で進めてみたいと思っている。
 
                  1
今もなお活動を続けている浅間山の麓にルオムの森となづけられた場所がある。そこは、「おしぎっぱの森」からベルト状に連なっていた原生林の一角で、天明3年の浅間山大噴火で生き残った希少な森でもある。約8000坪の森の中にひっそりと佇む館は、田中銀之助によって大正から昭和の初期に建てられたたてもので、浅間高原北麓に現存する最古の別荘だ。田中銀之助は、幕末明治の実業家・田中平八の孫。田中平八は、生糸相場で財をなし、伊藤博文、渋沢栄一から「天下の糸平」と呼ばれ、相場師の神様として語り継がれている。田中銀之助は、田中平八の孫として田中銀行等の企業群を引き継ぎ、田中鉱山、糸平不動産を興した大正、昭和の実業家だ。イギリスに留学しケンブリッジ大学にて学位を取得して帰国、その後E・B・クラークと共に日本で初めて慶應義塾大学にラグビーを伝え、「日本ラグビーの父」と呼ばれた。
 
100年の歴史の中、生き抜いてきた建物は、ほぼ原形のまま修復され、ルオム「百年の洋館」として蘇っている。ルオムとはフィンランド語で「自然に従う生き方」と言う意味。百年の洋館には、暖炉のかわりに薪ストーブが灯り、カフェ、ストア、読書室がある。百年の洋館の北側に隣接する森の中には、ナラやニレの木立を樹上から楽しむ「スウィートグラスアドベンチャー」があり、西側のデッキには木漏れ日につつまれるカフェテラスがある。動と静が共存しあう豊かな森の中では若い力がその活躍の場を与えられているが、学校が夏休みになり繁忙期となったある日、一人の年老いた女が社長同伴でやってきた。社長の話によると、突然記憶喪失となった彼女は、北軽井沢のバス停でうずくまっているところを保護されたが、その後元気を取り戻してしばらくは老人ホームで雑用をしながら生活していたという。自分の名前も年齢も住所もわからない記憶喪失者は、仮の名前を「北沢せつこ」とつけられていた。「北沢」は北軽井沢の北と沢をとったもので、「せつこ」は、発見されて名前を聞かれたとき、弱々しい声で「せ・・つ・・・こ」と言ったからだという。現在はとても元気で、ここで働くことになったという。社長は、この素晴らしい環境の中で、皿洗いやお掃除の仕事をしているうちに、記憶が戻るのではないかと考えているようだ。闊達で明るい北沢せつこは、ここで働く4人の女性たちとすぐに馴染み明るい笑顔で人気者となっていく。ただ一人男性でマネージャーの月山良太は、数年前に亡くした母が生き返ったようだと喜び、人一倍気を使って面倒見のいいところを見せていた。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ