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空海と丹生(にう) 

2017年09月23日 外部ブログ記事
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弘法大師・空海は、高野山の地を選んだのか?

人跡を遠ざけた幽寂な地が、密教修行の道場としてふさわしいと空海は考えた
 ☆空海は、唐から帰国する船上で、航海の無事を神明に祈りました
 (修禅の道場を建立し、修行して、神威に報いることを誓願)
 ☆嵯峨天皇に、高野山の地を賜りたいと上表文を提出
空海は、中国から帰国時、乗船する際三鈷を日本に向けて投げた
 ☆「日本で密教を弘める道場にふさわしい所があれば飛んで行って、我を待て」
 ☆高野山の松の梢の間に三鈷がかかって光り輝いていので、この地に伽藍を建てた
空海は水銀が目的で高野山(朱色の原料は硫化水銀)を選択した
 ☆朱色は、魔除けや不老長寿を象徴する色で、古代より宮殿や神社仏閣に用いられてた
 ☆朱色は中国の錬丹術に由来し、 硫化水銀の粉末である辰砂(丹砂・朱砂)が原料です
 (古代日本では「丹(に)」と呼ぶ)
 ☆地名に「丹生」とつく地域は、 かつて水銀採掘が行われていたことを示しています
 ☆高野山の周辺には、丹生都比売神社等丹生の名がついた神社が多数存在していた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、BS11『尾上松也の謎解き歴史ミステリー』、おちゃん日記(ブログ)















空海と丹生(にう)(『尾上松也の謎解き歴史ミステリー』番組画面より画像引用)

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