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パトラッシュが駆ける！

三日目の女　

2017年11月11日 ナビトモブログ記事
テーマ：テーマ無し

中年女性が、サロンの扉を開け、言った。
「就職が決まりましたので……」
確か、その名をＫと言った。
顔が、晴れやかだ。
そして、それだけ言うと、すぐに戸を閉め、去って行った。
だから、何だと言うのだろう……
私は、彼女の真意を、量りかねている。

　＊　＊　＊

三日前の金曜日に、彼女は初めて、私のサロンに現れた。
年令は五十歳くらい、平凡な主婦のように見えた。
「こちらで、囲碁を教えて頂けるのでしょうか？」
その声に、張りがない。

「初めてですか、囲碁は？」
「はい、まったく経験ありません」
笑おうと、努めているのであろう、その頬が、歪んでいるように見えた。
顔は、人の心を表す、鏡のようなもの。
彼女は多分、屈託をかかえていたのだろう。

「私、今、精神的に揺れているのです」
自ら、そんなことを言い出した。
だから、囲碁を習いたい？
そんな入門者は、これまで見たことも、聞いたこともない。

何か熱中出来るものが、欲しい。
熱中していれば、心の揺れから、逃れられる。
ということであろう。
私は、彼女の中にある、病を想像し、深くは聞かず
「いいですよ」と答えた。
私で役に立つなら、そして囲碁が、病を治せないまでも、
症状を軽減出来るなら、それは囲碁に関わる人間として、やるべきであろう。

「囲碁は石取りゲームです。それと同時に、陣取りゲームでもあります」
私は、九路盤と言う、小さな碁盤の上に、白黒の石を置き説明を始めた。
先ずは、石の取り方だ。
相手の石を囲み、碁盤の端の方に、追いつめて行く。

そして、陣地の囲い方だ。
「さながら、未開の原野に、杭を立て、ロープを張り、
ここは私の土地だと、主張するようなものです」
だから、杭の間隔が広いと、相手の侵入を許す。
さりとて、細かく杭打ちすれば、良いというものでもない。
「杭、つまり、石がたくさん要るし、手間ひまがかかるでしょ」
私は初心者に対し、比喩を用い、何時もこういう説明をする。

「石も人間と同じです。一人でぽつんと居ると、危ない。
すぐに相手に捕まってしまう。
そこで、二人、三人と、手をつなぐ。そうすると、二倍、三倍に、
強さが増すのです」
多くの人が、この説明に頷いてくれる。

Ｋさんも「はい、はい」と素直であった。
囲碁に、興味を抱いたように見えた。
「明日午前中に、子供囲碁教室があります。
小学生の初心者が、何人か来ます。見学に来ませんか？」
誘ったら、翌日、本当に来た。
一時間ほど、熱心に見学をした。
「また、いらっしゃい」
「はい」
性格は、素直のようだ。
しかし、それも良し悪しで、そういう素直な人の方が、罹りやすい病気もある。

日曜日、彼女は来なかった。
実は、次回からは、レッスン料を頂きますよと、告げてある。
と言っても、一時間教えて、たったの五百円なのだが。

月曜日、彼女は現れた。
しかしサロンに入るわけではなく、入口で一言言い残すや、帰って行った。

　＊　＊　＊

「その人、来ませんよ、もう」
妻が言った。
これまでの、あらましを話したら、即座に断言した。
「仕事がなくて、その人、ヒマだったんでしょ」
だから、ヒマつぶしに利用されたのよと、妻は言う。

「そうかなぁ……」
私には、今も信じられない。
「だって、本当に辛そうに見えたんだぜ」
「演技よ。あーたって人は、本当に、人が好いんだから」
妻はもう、にべもない。

「心が揺れている」それはつまり、就職で悩んでいたことだったのか……
私には、わからない。
無駄な努力だったとは、思うまい。
彼女の笑いには、苦渋が滲んでいた。
それを一時間、二時間、忘れさせることが出来た。
それだけでも、サロンの存在意義は、あったではないか。

人生には、何が起きるかわからない。
そのうちひょっこり、彼女はまた、現れるのではないか。
私には、そんな予感がしないでもない。



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拒絶感がなく

パトラッシュさん

NOVAさん、
時たま、ふらりと入って来る人が、他にもいます。
「碁は、初めてなんですが……」
「歳を取っていますが、出来ますかねえ……」
などと、私に聞きます。
潜在需要は、かなりありそうです。

通りから見通せることもあり、そして、子供の客が多いこともあり、
入りやすいサロンであるのかもしれません。

2017/11/11 18:31:58

きっと…

さん

その女の人は、だれかに伝えたかったのでしょう、「私はここにいます」と。
パトリッシュさんのサロンが「こちらにどうそ」と招いているように見えたんでしょう。
その人にとってきっとどうしてもほしかった「場所」だったのでしょう。

2017/11/11 15:53:38

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