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蕎麦喰いねえ 

2017年11月18日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

遠来の客があり、談笑しているうちに、ちょうど昼時になった。
「飯でも一緒に食おうよ」ということになる。
この時に私は、客の嗜好を斟酌しない。
「蕎麦か寿司でも」
二者を示し、択一を迫る。
強引なようだが、私と同年配の客だと、これで問題がない。
この二者を、どちらも嫌いな者は、先ず居ないからだ。

客が若者なら「カツ丼でもどうか」に変える。
実は、我が街に、ちょっとした名物のそれがある。
そしてまた、夕暮れ時だと、話が大分違って来る。
私の客の多くが、酒をたしなむ。
「食う」より「飲む」が主になる。
「ちょっとやろうよ」
それは、居酒屋への同道を、促すセリフだ。

この世に、蕎麦を好む人は多い。
ここ三カ月間で、私の誘いに応じた来客が、三組五人居て、
その内訳が、寿司一組、蕎麦が二組であった。
昼飯に蕎麦、これは相当に、相性が良いと思われる。

ちなみに、ファミレスへは誘わない。
ファストフードの店にも行かない。
私は客を、義理でではなく、心からもてなしたいと思っている。
チェーン店で、昼飯を食べる。
それは単に、腹を満たすことでしかない。
ファミレスでご馳走する……それは、相手が子供の場合に、
やることだと思っている。

 * * *

蕎麦屋へと客を案内し、失敗したことがある。
曜日をうっかりしていた。
我が街で、私の最も気に入っている店へ、お連れしたら、休業日であった。
次善の策として、次善の店に行った。
たまたま店舗改装中であった。
もう、後に引けなくなり、三善の店へ向かった。
それなのに、嗚呼、何ということだ。
そこにも「本日休業」の札が下がっていた。

さてどうするか……
三店を巡り、私は客に、二十分も歩かせてしまっている。
「コンビニの蕎麦でも、いいですよ」
私の困惑を見て取ったのであろう、客が、気を利かせ、言ってくれた。
今さら、寿司やカツ丼への変更も忌々しい。
こうなったら、意地でも蕎麦を貫こう。

私達は、コンビニで蕎麦を買い、私のサロンに持ち帰り、これを食べた。
あれほど、情けなかったことはない。
私の迂闊が原因である。
それから、客が来ると、カレンダーを見るようになった。

 * * * 

「最善の」というのは「私にとって」であり、
必ずしも、世間の皆さんのそれとは、一致しない。
実を言えば、味への評価が高い店が、他にもある。
評価より、評判と言った方がいい。
巷間、多くの人が褒める。
あるいは、テレビやグルメ雑誌などに、取り上げられる。
つまりは、著名店ということになる。

そんな蕎麦店が、私の住む街にもある。
開店と同時に、満席になってしまう。
と伝えられている。
さらに、まことしやかに、語られていることがある。
「盛りが少ないんだ。箸で三掻きもすれば、もうなくなってしまう」
客は、やむを得ず、ザルだかセイロだかを、何枚も頼むことになる。

伝聞である。
そこに、多少の誇張はあるかもしれない。
しかし、おおよそのことが、知れるではないか。

私は、その店へ行ったことがない。
話を伝え聞いただけで、断固として行かない。
「そんなもの、蕎麦じゃない」
蕎麦はそもそも、気取らない庶民の食べ物だ。
それを、芸術品のように、崇め奉ってしまって、どうするのだ……
という頭がある。
これを石頭と言わば言え。
笑わば笑え。

私は意地でも、その芸術的蕎麦を食べに行かない。
その代わりに、私のポリシーに合う店なら、遠路をものともせずに、出かける。
実際に、秩父の蕎麦畑の中で、世を忍ぶように営業する、
農家直営の蕎麦屋へと、わざわざ、その営業時間に合わせ、
出かけて行ったりする。

私には、妙なこだわりがある。
世間の皆さんほど、思考が柔軟でない。
これを「頑固」とか「変わり者」ということも出来る。

 * * *

「天で一杯付けてくれ」
「あいにくでございますが『天』は山となりました」

これだけ聞いて、あっ……と思われた方は、芝居通だ。
「おっ『直侍』だね。で、誰でぇ役者は?」
こう聞き返す人は、さらにベテランだ。
「さては、菊五郎だな。顔見世だろ。もう行ったのかい?
おいらなんか、初日に行ったぜ」
という人が居たら、芝居の話はさっさと切り上げ、
とっとと逃げた方がいい。
でないと、たちまち身体を拘束され、喋りまくられ、
三十分は、釈放されなくなる。

通称「直侍」は、本外題「雪暮夜入谷畦道」(ゆきのゆうべ いりやのあぜみち)であり、
雪の降り積む、入谷の蕎麦屋から、物語が始まる。
店の障子に「二八」の二字が見える。
これが江戸の昔の、蕎麦屋のマークである。

幕開け、菊五郎はまだ出ない。
端役である、町人が二人、抜き足差し足で、この店を目指している。
下駄の歯に、雪が詰まり、歩き難そうだ。

「何処も気に入らねえ。盛りが悪い」
これ、他店の蕎麦を評して、言っている。
「盛りのいいのは、ここに限るぜ」
目の前の蕎麦屋を褒めている。

これを聞き、私は快哉を叫びたくなった。
もちろん、声を発したりはしない。
幕が上がったばかりの、歌舞伎座の館内は、静まり返っている。

そうだよなあ……
盛りの悪い蕎麦なんぞ、腹立たしくっていけない。
江戸の昔の男達だって、私と同じように思っている。
店を選ぶ際の、要件としている。
私はにわかに、自説に対し、自信が湧いた。
今後とも、このポリシーを捨て去るまい。

歌舞伎座からの帰り、私は無性に、蕎麦が食べたくなった。
菊五郎の、蕎麦の食いっぷいりが、今も、目に焼き付いている。

舞台では、本物の蕎麦を使う。
丼から掬ったそれを、箸に垂らし、しばし空中で静止させる。
口をつぼめ、少し息を吹きかける。
かけ蕎麦であり、熱いからだ。
それからおもむろに、少し傾けた、その口にて啜る。
ずずずー……
音は聞こえない。
が、聞えるように見える。
これが芸と言うものであろう。

私は、銀座の蕎麦屋については、知識がない。
場所柄、どの店も、さぞ、値が高かろう。
高いだけなら、まだ許せる。
盛りが少なかったら、どうしよう。

えーい、かくなる上は……
私は、勝手知ったる、地元の蕎麦屋目指し、一目散に地下鉄の駅へと急いだ。



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同志よ!

パトラッシュさん

漫歩さん、
ご賛同、ありがとうございます。

2017/11/26 09:44:52

御意!

漫歩さん

ー 蕎麦はそもそも、気取らない庶民の食べ物だ。
それを、芸術品のように崇め奉ってまって、
どうするのだ ー


よくこそ言ってくださった。

2017/11/25 20:16:40

自然体で

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
仰る通り、座っているだけで、絵になる役者です。
当人もきっと、楽屋に居るより、舞台に居る方が、
楽しいのではないでしょうか。

2017/11/18 13:59:49

本物

パトラッシュさん

吾喰楽さん、
本物の蕎麦でした。
聞くところによると、役者は、好みの店の蕎麦を、
出前で取り寄せるとか。
さて菊五郎は、どこの蕎麦屋から、取り寄せたか……

歌舞伎座のすぐ横に「富士そば」がありました。
(立ち食いのチェーン店)
さすがに、あそこではないようです。
歌舞伎座裏に「歌舞伎蕎麦」の看板が見えます。
今度、探索してみようかしら……

2017/11/18 13:57:10

菊五郎、見たかったです。

シシーマニアさん

そうでしたか。

菊五郎は、存在が既に、江戸の人ですよね。
私には、演じている感じがしません。

ああいった役者さんを見るにつけ、年季という言葉が思い出されます。

2017/11/18 11:36:40

歌舞伎と落語

吾喰楽さん

私が初めて歌舞伎を観たのは、橋之助(現・芝翫)の「髪結新三」です。
初鰹を食べる場面で、本当に食べているので驚きました。
もっとも、その刺身がマグロでも区別はつきませんが。
昨年の「忠臣蔵」では、焼香の場面で、三階席までお香の香りが漂ってきました。

云うまでもなく、落語では、蕎麦や酒は、真似だけですが、真に迫っていますね。
観るたびに、蕎麦が食べたくなり、酒を飲みたくなります。

2017/11/18 09:15:04

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