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パトラッシュが駆ける!

続・蕎麦とベートーヴェン 

2018年02月24日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

かつて、倉庫であったかのような、武骨な建物であり、
窓などの開口部が少ない。
入口の引き戸の脇に、店名を記した、直径三十センチほどの、
丸い看板が出ているだけ。
うっかりすれば、気付かずに、通り過ぎてしまう。
Kは、そういう蕎麦屋である。

にも拘らず、繁盛している。
その手打ち蕎麦の、評判が高いからだ。
これが飲食業の、不思議なところで、味さえよければ、
店構えなんか、実はどうでも良い。
それどころか、その質朴な佇まいが、逆に、
店の自信を示して、客の印象を、好ましくするところがある。
「隠れ名店を見つけるには、汚い店を探せ」
という人も居るくらいだ。

我が町に、十軒以上ある、蕎麦店の中で、外観はともかく、
人気では間違いなく、一方の雄であろう。
H庵と共に、双璧をなすであろう。
私は行きがかり上、そのKの蕎麦を、食べなければならない。
Kを抜きにして「我が町蕎麦物語」は、完結しない。

十一時半の開店を前に、店の前に、客が立ち並ぶ。
その光景を、何度も見ている。
私の住まいからは、近い。
徒歩で、たったの三分である。
にも拘らず、店に入ったことがない。

私は、待つのが苦手だ。
それで、敬遠していた。
今回は「任務」である。
レポートを書くためには、入店せねばならない。
そして、その蕎麦を食べねばならない。

そこで、作戦を考えた。
開店十分前に、妻を行かせる。
先遣隊である。
行列が、十人以内なら、その尻に付かせる。
十人以上なら、諦めて、後日を期す。
私は、その情況報告を電話で受け、三分前に到着する。
列に割り込む。
そうすれば、待たずに済むではないか。
それ見ろ、Kは定刻の二分前に、その扉が開き、
店員が「どうぞ」と客を導いだ。
私は、一分待っただけで、Kの店内に入ることが出来た。

蕎麦好きの私が、これまで、Kの評判を聞きつつ、
その蕎麦を敬遠していた、理由は一つ、蕎麦に対する、
哲学の違いだ。
「あんなに量の少ない蕎麦屋はない。たったの三掻きで、
底が見えたぜ」
知人から、聞かされていた。
それが、懐疑の元であった。

どうも、尋常の蕎麦屋ではないようだ。
店主はさぞ、偏屈な男であろう。
客を笑顔で迎えるどころか、調理場の奥で、苦虫を噛み潰している。
そんな男が想像された。

本当に、三掻きで蕎麦が、底を尽いたら……
店員に嫌味を言うか、それとも憤然と席を立つか、
それとも甘んじて、追加を頼むか。それは、その時に考えよう。
たかが蕎麦屋に入るのに、私の顔は、少々、
こわ張っていたと思われる。

 * * * 

私は原則として、冷たい蕎麦を食べる。
冷たい方が、本当の味がわかる。
と信じている。
ちなみに、酒も冷酒を好んで飲む。
熱燗は、身体を温めるにはいいが、しみじみと酒を味合うには、
不向きだと思っている。

ザル、セイロなど、蕎麦を盛る器がある中で、
ここは細長い箱であった。
名付けて「箱盛り蕎麦」
木製漆塗りの、細長い弁当箱のようなものだ。
店員は「お待たせしました」と運んで来た、その箱の蓋を、
取って、すぐさま持ち去る。
その蓋に、どういう意味があるのか、わからない。
調理場から、テーブルに運ぶ間、蕎麦の乾燥を防ぐのか……
僅か数メートルを、そんな気づかいをして、何になるのだろう。

さて、肝心の蕎麦である。
確かに、量は多くない。
しかし、知人が言ったように
「三掻きで底が見えた」というほどのこともない。
あれは多分に、誇張であった。

腰がある。
香りもいい。
汁も美味い。
何か、足らないものがあるか……
粗探しをするけれど、見つからない。
ということは、良い蕎麦だ。

店内の中央に、石臼が据えられている。
これで挽きました、という物的証拠であろう。
後に、妻が言った。
「硬かったわ」
「そうかな、私は、あのくらいがいい」
「H庵に比べると、武骨なお蕎麦ね」
「そうだな。あっちの方が、洗練されている」
「もう、いいわ、あそこは」
女は、はっきりしている。
と言うと、差支えがあるかもしれない。
「妻は」ということにしよう。
食に関し、良否をはっきり言う。
これは、良いことかもしれない。

そこへ行くと、私は煮え切らない。
美味いことは美味い。
しかし、絶賛してよいものかどうか……迷っている。
自分の舌に、自信がないからだ。

ただ一つ、裏を返し、Kの馴染み客に、なるかとなれば、
それはない。
「わかった。納得した。再び妻を、並ばせる必要はない」
という結論に、至っている。

 * * *

開店と共に入った、十人ほどの客の中に、若い女性が一人いた。
と言っても、四十を出ているかもしれない。
他の客が皆、いい歳をした、じいさん、ばあさんだから、
余計に目立つ。

運ばれて来た、箱盛りと天ぷらを、スマホで撮影している。
最近は、インスタグラムへの投稿が流行っている。
多分、それであろう。
これで、一眼レフでも持っているとなると、雑誌か何かの、
取材かもしれない。

食べ始めて、しばらくし、彼女が、店員を手招きしたように見えた。
二言三言交わした後で、店員が、食べかけの蕎麦を、
調理場へと運んで行った。
暫く経って、新たに一人前の、箱盛り蕎麦を運んで来た。
私は、盛りの追加を、求めたのかと思った。

妻の方が、耳が良い。
店を出た後で、委細を、語ってくれた。
「聞えなかったの?……虫が入っていたそうよ」
「へえ……」
「店員さんが、謝ってたじゃないの」
私の方からは、死角で見えなかったのだ。
事実とすれば、それは、飲食業として失態であろう。

「何の虫だろう……」
「この寒い時期にねえ……」
「どの工程で、入ったかだ……」
女性もさぞ、驚いたであろう。
たまたま、運が悪かったというよりない。
順序が違えば、それが私のところへ、運ばれた可能性もある。

店主は、結局、客席に出て来なかった。
若い店員の”事務的処理“に任せている。
彼女がもし、取材者であったら、そのレポートたるや、
さぞ見ものになるだろう。

 * * *

私は多分、再びKへ行くことは、ないであろう。
虫のせいではない。
蕎麦のせいでもない。
味は良い。
立派に合格点だ。

値段が少々高い。
私の食べた、箱盛りが、九百四十円。
かつて、私が食べた蕎麦の中で、最も高い。
前回の、H庵のせいろ蕎麦だって、七百五十六円であった。

もう一つ、酒も高い。
私の愛飲酒でもある「獺祭」が一合で、千四百三十円。
何処を突けば、こういう値段が出て来るのか。
蕎麦もさることながら、酒をも、芸術化してしまっている。
店主の経営哲学に、賛同出来ない。

こっちにだって、哲学がある。
蕎麦哲学である。
店主のそれとは、とても相容れない。
それを確かめに行った。
と思えば、納まりが付く。
作戦を立て、行った甲斐があったというものだ。



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蕎麦は悪くないのですが

パトラッシュさん

漫歩さん、
繁栄は、人間を増長させる。
その一つの例かと思われます。

客として、威張るつもりはないですが、一方で、
「食べさせて頂く」のも、嫌です。
私はもう、あの店には行かないでしょう。

2018/02/25 16:04:15

高額の蕎麦を敬う客。

漫歩さん

総じて納得です。
  
粗雑な建物と高額な値段は、近頃の客の好みから計算されたものを感じました。

そうした客への、店主の上から目線も感じられますね。

2018/02/25 10:43:31

おかしな店ですね

パトラッシュさん

喜美さん、
そうでしょうね。
旦那さんが、お怒りになるなんて、おかしいなと思いました。

しかし、店の人も、余計なことを言いますね。
文句を言うくらいなら、メニューから外せばいいのにね……

2018/02/25 07:21:12

信州蕎麦が傍にあれば……

パトラッシュさん

みさきさん、
長野新幹線で、一っ飛びでしょうか。
あちらには、美味しい蕎麦が、目白押しでしょう。
(東京では、玉石混交ですが)

妻は、必ずしも、優しいわけではありません。
彼女も、Kの蕎麦を食べたかっただけです。(笑)

2018/02/25 07:17:56

ごめんなさい

喜美さん

私の書き方悪かったです
お店の人に叱れた居ました
主人はパトさんと同じ私達喧嘩
1回もしませんでした
私が強かったのかもしれませんけれど。

2018/02/24 13:28:35

ドキドキ…

みさきさん

先に行って並んでくださる奥様、お優しいですね。(^^)
どんなお蕎麦になるのかしらと、ドキドキしながら、引き込まれてしまいました。
場合によっては、新幹線を一本時間調整して…なんて。うーん、私はやっぱり田舎のお蕎麦がいいのかもしれません。

2018/02/24 12:57:59

所詮は嗜好ですから

パトラッシュさん

喜美さん、
嗜好というのは、人さまざまです。
温かい天ぷらそばも、美味しいですよね。
私も、寒空の下などでは、食べます。

旦那さんの「食」へのこだわりは、私以上ですね。
私は、妻が傍らで、何を食べようと、文句は言いません。
よほど、好みを貫きたい時は、一人で出かけるようにしております。

2018/02/24 12:11:35

蕎麦行脚

パトラッシュさん

吾喰楽さん、
簡素な食品ながら、蕎麦は、奥が深いですね。
最後は結局、好みで決めるより、ないようです。

作る側も、わかっているのでしょう。
万人に好まれることを求めると、結局誰をも満足させられないと。

私の蕎麦行脚は、まだまだ続きそうです。
話の成り行きで、こんなことに、なってしまいました。

2018/02/24 12:02:51

蕎麦

喜美さん

蕎麦も好きと言うくらいでしょうか
私は奥様と同じで固すぎるのは嫌です百パーセントのそば粉は余り好きでないです口の中で噛むみたいな感じがしますから其れでは蕎麦大好きではないですかね 並んでまでは嫌です
前に語さんに聞いて並びましたけれど
それ以外は並びません
1回鎌倉で叱られた事ありました
お正月でやっと入ったお店で主人は天ざるでしたけれど天ぷらそばをお願いしましたら食べている間叱られました蕎麦に悪いと 伸びるからでしょうけれど寒くて暖かい方が良かったから食べたのに二度と行きません

2018/02/24 10:53:16

好み

吾喰楽さん

一定の水準を超えると、蕎麦の美味い不味いは、好みの問題だと思います。
H庵とKの蕎麦は、別物と考えた方が良いかも知れません。

先日、阿佐ヶ谷駅前の蕎麦屋で、清酒を飲みました。
生ビールが150円の店です。
八海山が250円で飲めました。
もっとも、お銚子には、6勺程しか入っていませんでした。
納豆蕎麦を食べましたが、昼酒ですから、丁度良かったですよ。

2018/02/24 10:05:56

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