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パトラッシュが駆ける!

とんかつ屋一代 

2018年03月10日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

とんかつ「菊之家」のシャッターに、貼り紙が見えた。
「店主 菊谷美子は二月十五日に永眠致しました。
生前のご厚誼に感謝し、ここにお知らせ致します」
彼女には、息子が二人いる。
そのどちらかが、書いたのであろう。
肉筆ではなく、ワープロで作成したものだ。
言っては悪いが、菊之家一家は悪筆であり、
どうにか筆の立つのは、死んだ、美子さんしかいなかった。

前回の貼り紙は「体調不良のため、休業致します」であった。
あれから、二ヶ月と経っていない。
病死であろう。
病名はわからないが、症状は、かなり進行していたと思われる。

旦那が亡くなって十年、女の細腕で、店を守って来た。
それは単に、生活費を稼ぐためばかりでは、なかったようだ。
亡夫と共に創業した店を、その目の黒いうちに、
たたみたくはなかったのであろう。

だからこそ、前回の張り紙には、その決意が書かれてあった。
「何時になるかはわかりませんが、健康が回復したら、
店は必ず再開します。どうぞよろしくお願いいたします」
まさか、自分が死ぬとは、思わなかったのであろう。
「必ず」の一語に、執念がこもっているように思われた。

 * * *

菊之家のオヤジと私は、かつての友人であった。
親友というわけではない。
商店街の仲間と共に、親睦会を形成する、その程度の仲である。

親睦会、実は、飲み会である。
珍しい酒が入った、肴が入った、目出度いことがあった……
理由なら、何とでもなる。
終業後に、集まって飲む。
と言えば、聞えがいい。
終業を早めて飲む。
そんな飲兵衛の集団であった。

遂には、家族をも交え、近くの井の頭公園まで、
夜桜見物に繰り出したりした。
バスを借り切り、三浦半島にまで、足を伸ばしたこともある。
車中で、酒盛りになったことは、言うまでもない。

私としては、彼らを、気の良い仲間と思っていた。
この交友関係が、長く続くと思っていた。
しかし、人の思いというのは、それぞれだ。
親睦と信頼は違う。
そこに金銭が絡んだ時、信頼は脆くも失われる。
ということを、やがて私は、知らされることとなった。

 * * *

六人のメンバーの内、創業者が三人いた。
残りの三人が、私を含め、二代目である。
どちらも商店主であり、商売に対する、その基本姿勢に変わりはない。
しかし、微妙に違うものがある。
仕事に向き合う姿勢、そして、その温度差である。
それはつまり、人生とどう向き合うか、ということでもある。

初代は、概して、仕事一途だ。
二代目になり、少し遊びを覚える。
三代目に至り、道楽三昧となる。
遂には「売り家と唐様で書く三代目」となったりする。

私は、道楽者であり、店を妻に任せては、
ちょくちょく遊び歩いていた。
三代目に近い二代目だなぁ、甘ちゃんだなぁ……くらいに、
世間から、見られていたのだと思う。

ある時、菊之家のオヤジが来て「頼みがある」と言った。
店を改装する。
ついでに、建物の補修もする。
三百万ほどかかる。
その資金を、○○金融公庫から、借り入れようと思っている。
ついては、保証人が必要だ。
ハンコを押してくれないか、というものだった。

私は、交友関係に、金銭を絡ませたくない。
言を左右にし、断った。
本当は、きっぱりと、それこそ、にべもなく、
拒絶すべきだったかもしれない。
しかし、それでは可哀想だ。
友情を壊したくない。
それで、婉曲に断った。
その辺が、私の甘さであり、人の好さであるのだろう。

後に聞いたら、保証人には結局、郷里の親戚に頼ったとか。
それなら、最初から、そうすればよかったではないか。
想像するに、あいつは人が好いから……で、
私をターゲットにしたのではあるまいか。
その証拠に、親睦会の他のメンバーには、依頼に行った形跡がない。

私と、菊之家との仲は、そのことを境に、冷えて行った。
何だ、金が目当てで、人と付き合うのか……
私はそれほど、お人好しじゃないぞ……
その厚かましさに、嫌気が差し、距離を置くようになった。

それから一年後に、オヤジは死んだ。
大腸癌であった。
幸いに、店の修繕は、終わっていた。
さながら、残り時間を、量ったように、オヤジは、
おのれの責務を果たし、あの世へと旅立って行った。

以来、親睦会も下火になった。
最年長で、しかも、飲食店を経営している利点もあり、
菊之家こそが、会を主導していた。
その扇の要を失ったのだから、仕方ない。
会は、その死後一年ほどで、自然消滅する形になった。

私も自然と、菊之家のとんかつを、食べに行かなくなった。

 * * *

美子さんは、それでも、道で会えば、屈託のない挨拶をした。
「止めたんだけど、お父さん、行ってしまったのよ」
これ、オヤジが私のところへ、
保証人を頼みに来た時のことを言っている。
金銭がらみの依頼をする。
それが交友関係に、決して好影響を及ぼさないことを、
彼女は知っていた。
菊之家の中で、唯一の常識人だったと言えなくもない。

伝え聞くところによれば、息子二人は、サラリーマンになり、
それぞれ他市において、所帯を持っていると言う。
美子さんの願った、店の再開は、難しいのではあるまいか。
菊之家は一代限りで、その幕を閉じるのでは、なかろうか。

そのヒレカツは、美味かった。
使う油に、何か秘訣があるのであろう。
いい香りがした。
しかし、その秘訣を教えてくれることは、なかった。
教わったところで、それを活かす術も、私にはないのだが。



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金の縁は……

パトラッシュさん

喜美さん、
それはそれは、難儀なことでしたね。
旦那さん、父のそれを引き継いでいたとは、不運でしたね。
義侠心の強い方だったのでしょう、きっと。

いずれにしても、金にまつわる話は、いやですね。
欲をかかず、そこそこ生きて行くのが、一番だと思います。

2018/03/10 18:30:40

滅多にないことですが

パトラッシュさん

漫歩さん、
人間関係を壊さないようにと、それを優先すると、厄介なことになりますね。
時には、泣いて馬謖を切る非情も、必要なのかもしれません。
私の人生で、ただ一度だけの、経験でした。

2018/03/10 18:25:38

友情がくせもので

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
借家の保証人、就職の際の、身元保証人、これらはまだ良いのです。
保証する範囲も、自ずと限られておりますから。
問題は、借金の連帯保証人です。
これは、なさいませんように。
(シシーマニアさんのご友人に、こんなことを頼んで来る人は、居ないでしょうけれど)
絶対に、迷惑はかけないから……
友達だから……
ということで、安易にハンコを突き、後に苦い目に遭った例を、あちこちで聞きます。

私が、赤の他人から頼まれた、たった一つの例でした。
友情が壊れても、断って良かったと思っています。

2018/03/10 18:20:02

保証人

喜美さん

主人は父親の友達で親が保証人になっていたのを親が亡くなっても
引き受けていました その方がつぶれて我が家に差し押さえの札貼りに来て
驚きました3人(親の友達)が保証人でしたけれど二人は親と同じくらいの歳で年金でしたから全部主人が払はなければならず銀行のお金はすべて持って行かれました 

2018/03/10 17:46:19

友との仲

漫歩さん

今更パトさんに言う言葉ではありませんが、人間関係は難しいですね。
双方が親友と認じる間柄でも心の葛藤が生じることがあります。
ましてや、ただ普段親しき仲においておや〜。

ふと、向田邦子のテレビドラマ「あ・うん」を思い出しました。

2018/03/10 09:52:35

保証人

シシーマニアさん

私は未だ、保証人になったことも、頼まれたこともありません。

主人は、保護者として子供達の入学時、或いはアパートの入居時、甥の入社時、等など時折署名捺印をしていました。

私は、印鑑証明を取りに、役所へ行くばかりでしたが・・。

今主人が亡くなって、借家住まいをしている息子の保証人には、今後誰がなれば良いのか、考えてしまいます。

主人が亡くなる直前に、契約更新の依頼があって、ぐずぐずしていると間に合わなくなるかも知れない、と直ちに区役所に印鑑証明を取りに行きました。

それから間もなく、主人はこの世を去りました。

私は、迅速に対処した自分を、褒めたい気分でした。

身内以外で、保証人になってくれる人を探すのは、至難の業ですよね。

2018/03/10 09:39:02

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