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北軽井沢 虹の街 爽やかな風
ルーキーイヤー
2018年03月19日
テーマ:テーマ無し
昨日はAEDを日本語にならないかなんて言ったが、新人というよりはルーキーと言った方がよい響きに聞こえると勝手に思った。
「老い」についてある本には面白いことが書いてあった。
人はなぜ老いに抵抗するのか?(私は抵抗していないつもりだが・・)
老いるということは、持っている物を失うことらしい。体力、気力、知力、性欲、等々。
老いがやって来るまではこの逆で、人は歳を重ねるにつれて、常に何かを得て、持っているものが増えていくような感覚を抱く。体力、気力、知力、性欲、等々、すべて以前よりも増えたように感じる。そしてそれが永遠に続くのだと錯覚するが、人生に永遠はない。
人はある時点を最後に、足し算の世界から引き算の世界に入っていく。しかし、足し算の世界になれてしまった人はどうしても引き算の世界になじむことができない。そして老いに激しく抵抗しようとするが、たいていはその抵抗そのものが、よけいに悲劇を大きくする。
「下り坂にさしかかった時点で、その肉体と精神の衰えがいかなるところから始まるのかを人に悟らせないでいられる人はめったにいない」
そして、その努力が激しくなるとそれは、はた目から見ても物狂おしい努力と映るようになる。
「老いてなお盛んというような血気、狂気からそれほど隔たってはいない」
「老人は、悪い見本を示すことができなくなったのがくやしいので、良き教訓を垂れ流すのである」
「心の欠点は、顔の欠点と同じである。歳を重ねるごとにひどくなってゆく」
「歳をとった気狂いは、若い気狂いよりもはるかに気狂いである」
と、ここまでは何か自分のことを言われているようで、いちいち胸にぐさりと突き刺さったが最後の次の言葉で少し救われたのだった。
「人は歳をとるにしたがって、より物狂おしくなるが、同時に、より賢明にもなる」
私は10年前、このブログを書き始めたころ、もう少しで65歳以上の高齢者と呼ばれるようになるが、それは高齢者の新人だ、なんて言った覚えがある。
「われわれは人生のそれぞれの年齢にまったくの新人としてたどりつく。よって、ほとんどの場合、いくら歳をとったとしても、その年齢においては経験不足のルーキーなのである」「人に襲いかかるもののなかでもっとも思いがけないのは老いだ」
今年は75歳という後期高齢者の新人となるルーキーイヤーだ。
亡くなった三浦朱門は、後期高齢者の次は終期高齢者で最後は末期高齢者なんて言っていたが、彼は末期高齢者になる前に逝ったような気がする。
まあどうでもいいことだけれど、毎年歳を重ねるごとにルーキーになるというのも考えようでは新鮮な気持ちになれるような気がする。
これノーテンキ爺さんの哲学?
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