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たかが一人、されど一人

結婚記念日 

2018年04月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

少し肌寒い日が続いていたが今日から暖かくなるそうだ。実は今日は49回目の結婚記念日、相手がいなくなって初めて当時をしみじみ思いだす。今年と逆で、前日までお花見に最適ないい陽気だったが、当日長野市内は霙から雪になったような日だった。婚礼は昼で、今は無くなってしまったが、市内の料亭(富貴楼)で行われた。先ず座敷に親せきが居並び、その中から伯父さんが進み出て謡曲「高砂」を謡う中、上座に座った我々二人が仲居さんのお酌で三々九度の杯を受けた。正に人前結婚である。現代は神前だったりキリストの前だったりするのが当たり前で、今では映画の中でしか観られないだろうが、半世紀前まではごく当たり前の光景だったわけだ。引き続いての披露宴も同じ料亭で行われたが、これも現代とはかなり異なり、招待客は殆どが新郎側だけで新婦側は親戚だけとかなりアンバランスだった。もう忘れてしまったが、何でも「見立て」とか「出会い」とか何とかがあり、新婦側両親が当時静岡在住だったこともあったのだろう。当時の結婚は当事者より家と家のイベントの意味が大きく、いわゆる見合い結婚でもあったので当事者は殆ど意見を言えなかったように思う。従って式の後の披露宴は当時勤務していた会社の親睦会の様相で、出席者約100人くらいだったと思うが、当時まだ市内に結構いた芸者衆が20人くらい呼び込まれての大宴会。出席者全員からのお酌を受けなければならず、几帳面にそれを全部真面目に飲んだので大分酔ってしまったことを覚えている。兎も角そこを無事突破して、その日の夕方には東京から来てくれた学生時代の友人と母の友人の4人で、信越線の普通車に4人向かい合わせに乗って東京に帰ってきた。その夜は自宅で過ごして翌日から2泊、当時勤務先の真ん前のホテル・ニュージャパンが新婚旅行だった。6日目には出勤して、それから暫くは連日勤務先の同僚やら先輩後輩取り混ぜて仕事帰りに家に招待しての宴会だった。それを嫁は嫌な顔をせずご接待に勤めてくれた。爾来48年近くこちらは我がままのしほうだい、妻は一度もお手伝いを頼むこともなく、正に女手一つで二人の子供まで育て上げてくれたことを思うと本当に感謝の念でいっぱいである。一つ残念なのは婚礼の記念写真がどうしても見つからないことだ。大手企業に就職した友人に比べれば引っ越しの回数は少ないし、身の回りの品に対する執着はあまり無いが、ものの管理方法で夫婦間に大きな違いがあったようだ。

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