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切る 

2018年04月21日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

ハリルホジッチさんが、解任された。
「そんな名前、知らないよ」とおっしゃる人が居たら、
それは多分、世俗を超越している方であろう。
それは案外に、幸せなことで、あるかもしれない。

私のようなサッカーファンは、気が気でない。
それもそのはず、彼こそが、日本代表チームを率いていたのだから。
監督として、その意図するところの戦術が、選手に浸透しなかった。
用兵が、場当たり的であった。
などの批判が、世上に噴出している。

勝負は水もの、監督の力だけで、全てが決まるわけでもない。
にも拘らず、突如として、クビを斬った。
これが、日本サッカー協会の、英断であったか、
拙策であったか……
じきに明らかなる。

私は、労働法のことは、よくわからない。
雇用者側の一方的な都合で、被雇用者の首を斬る行為が、
許されるのであろうか。
と思ったが、どうも違うようだ。
監督とは「雇用」ではなく「契約」であるらしい。
しかも、その中に、随意に契約を、解除できるという、
条項があるらしい。

「逆もまた可なり」であろう。
ハリルさんだって、嫌になれば、いつでも辞表を、
叩きつけることが出来る。
つまりは、五分五分である。
実際に、世界のスポーツ界において、
シーズン途中の監督交代なんか、珍しいことではない。

首を斬られた側が、恨みつらみを、言いたくなるのも分かる。
不名誉であり、腹の虫が、納まらぬであろうから。
一方で、彼を見込んだ側だって、心苦しいのだ。
諸葛亮は、かつての有能な部下であった馬謖を、泣いて切った。

サッカー協会が、泣いているようには、見えない。
元々が、信頼関係ではなかった。
成果が全てであった。
非情に徹し、そして切った。
これはこれで、やむを得ないのであろう。

しかしながら、もし私が、サッカー協会の、
要職にあったとしたら、決してハリルさんを、
見限らなかったであろう。
私は、人が好い。
これと見込んだ人を、安易に捨てるわけには、行かない。
死なばもろとも……
ここまで来たら、惨敗してでも、今回のモスクワ大会を、
彼に託したであろう。

 * * *

「人との縁を、こちらからは、切るまい」
と心に期しつつ、私は、人生を生きて来た。
愛想を尽かされ、友に去られて行くとしたら、
これは、仕方ない。
私と言う人間に、彼を繋ぎとめるものが、なかったのだから。

自らは、切らない。
と言いつつ、一度だけ、この手で、人との縁を、
断ったことがあった。
相手は、証券会社の営業マンであった。
彼が、失策したわけではない。
業務に遺漏があったわけでもない。
にも拘らず、私の都合で、切った。

その原因は、インターネットの普及のせいだ。
今から二十年近く前、ネット証券が、次々に樹立され、
それは株式売買手数料が、安かった。
従来の証券会社に比べたら、それこそ、ただみたいにである。

当時、株式投資に熱中していた私が、
これに飛び付かない、わけがない。
私が、初めてパソコンを買ったのは、株の売買を、
ネットでやるためであった。

首尾よく、ネット証券に、口座を開設したまではよかった。
所有する株は、旧来の証券会社に、保護預かりとなっている。
それを、ネット証券に移管しなければ、ことは始まらない。

担当のK君とは、十数年の付き合いがあった。
彼は囲碁が好きで、私とは、ウマが合った。
近くに来たと言っては、私のところへ寄り、対局をやった。
親友でも心友でもない。
業務に関しての友だから「業友」とでも、呼ぼうか。

彼に非はない。
しかし、背に腹は、替えられない。
格段に安い、手数料を前にしては、情に於いて忍びないが、
その縁を、切らねばならない。

彼は、勤めていた証券会社を一旦退社し、
歩合の外務員として、会社に再所属していた。
つまりは、出来高払いの、個人営業者である。
インターネットの普及を受け、そのとばっちりを、
先ず受けるのは、彼らであろう。
「取引を終了する」
そのことを、電話で告げることが、私には、出来なかった。

手紙を書いた。
もちろん肉筆でもって、事の次第を、連綿と書いた。
その中に「申し訳ない」を、何度入れたであろうか。
やがて彼から電話があった。
「わかりました」
拍子抜けするほど、あっけない返事であった。
こちらが、気にし過ぎていたのかもしれない。
あるいはまた、彼が、こちらの胸中を慮ったのかもしれない。
株式は、無事に移管され、全てが終わった。
彼との縁も、切れた。

友人との間に、金銭を絡ませてはいけない。
金銭がらみの相手と、友達になってもいけない。
これを、その後の人生において、座右の銘としている。

 * * *

最近の私は、切られてばかりいる。
友人からではない。
家族や親戚からでもない。
生徒である。

囲碁を教わりに来ていた人が、ある日突然、来なくなる。
おかしいな……で、気が付いたら、一ヶ月が経っている。
二ヶ月過ぎても、何の連絡がない。
おそらくは、見限られたのであろう。
この私が……である。

女性が居る。
子供も居る。
切ったからと言って、理由説明があるわけではない。
手紙も来ない。
私に預けた資産とてないから、気楽に切れる。

人生は、よく出来ている。
その代わりに、また新しい生徒が来る。
行く川の、流れのようなものだ。
流れは絶えずして、しかし、元の水にあらずだ。

新しい生徒を鍛え、去って行った者を、見返してやろう。
どうだ、おれの指導力は……と叫んでやろう。
これが切られた者の、意地と言えなくもない。

ハリルホジッチさん、協会からの連絡が、あっただけいい。
そして、六十五歳。
まだまだやれる。
世界は広い。
新たな生徒を鍛え、見限った、日本サッカー協会を、
見返してくれたまえ。



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