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パトラッシュが駆ける!

枯木に花を 

2018年05月12日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

「あなたに、囲碁は無理です」
と、喉まで出かかったことが、何度かある。
このままレッスンを続けても、
人並みに、打てるようになるには、長い時間が必要です。
無駄な努力に、なるかもしれません。
お止めになるなら、早い方がいい。
と言いかけて、私は、その度に、言葉を飲み込んだ。

私の父は、八十を越えたある時、にわかに、
絵を描きたいと言い出した。
父はそれまで、絵筆を持ったことがない。
如何なる風の、吹き回しであろうか……
私を含めた子供達は、その真意を訝った。

父は、区の広報に載っていた、ある絵画の同好会を訪ねた。
当然に、受け入れてくれると思ったらしい。
しかし、断われた。
「ここは、本格的に、絵画の勉強をするサークルです」
つまり、初心者への手ほどきなどは、
行っていないということであろう。
態のいい、門前払いであった。
冷たいもんだ。
しばらくの間、見学くらい、させてくれたって、
バチは当たるまいに……
私達は、所詮父に、絵は無理と思いながらも、
サークル側の、けんもほろろな対応に、腹を立てたものだ。

Y夫人もまた、八十を過ぎている。
そして、今まで、碁石を触ったこともない。
にも拘らず、囲碁をやってみる気になった。
その彼女の上に、私は、父の姿を重ねないわけには、
行かない。

Y夫人のそれは、しかも、その夫のためでもある。
認知症を患う旦那には、もう、他に楽しみとてない。
ただ一つ、囲碁だけは、昔取った杵柄で、何とかなる。
自分が碁を覚え、旦那の相手になってやろうという、
その心根たるや、美しいではないか。

その彼女が、旦那である、Y氏を連れて来た時のことだ。
初めての客には、試験対局をやり、その実力を確かめる。
これが、私のサロンのやり方だ。

Y氏の碁に、大きな欠陥はなかった。
碁で最も大切な「活き」と「死に」が、よくわかっている。
石の繋がり、地の囲い方もいい。
問題は、その不貞腐れた態度だ。
時に傲然と顔を上げ「ふん」というような、仕草を見せる。

「何様か……」
私はにわかに、腹が立った。
懲らしめてやろう……
大きな石を捕縛し、殲滅してやった。
Y氏が、これに落胆するかと思えば、何事もなかった顔で、
端坐している。

終局後、私は、Y氏の失着を、幾つか指摘した。
私は、サロンの主であると共に、コーチであり、
生徒の棋力を向上させるのが、その任務と心得ている。
嗚呼、それなのに、Y氏は頷くこともなく、
口でぶつぶつ言いながら、あらぬ方向に、
その視線を向けている。
思わず言った。
「ここは、私のサロンです。
私の申し上げたことに、もし従えないのでしたら、
今後、ここに来る必要は、ありません」
言葉はかなり、きつくなっていただろう。
しかし、これに対しても、悪びれた様子がない。

一週間が過ぎ、二週間が経った。
ああまで言われては、もう、おめおめと、来られまい。
縁が切れれば、むしろ幸いと思っていた。

ところがある日、二人の姿が、ガラス越に見えた。
ちょうど私が、居眠りから、醒めたところであった。
「よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
寝起きを襲われ、私は、仕方なく、招き入れた。

その日もまた、彼は、憮然たる態度で、碁を打った。
時たま、ぶつぶつと、呟くのも、前回と同じ。
これを見て、私はようやく、Y氏の人となりがわかって来た。

これが、話に聞く、認知症なのであろう。
彼は、自分のキャリアに、自信を持っている。
おのれ自身を「えらいもんだ」と思っている。
だから、他人の言う事に、耳を貸さない。
他者からの干渉や束縛を排し、自らの意志により、
行動する。
これが、認知症の、一つの形であると思われる。

その後は、週に一度ずつ、現れるようになった。
常に奥さんが帯同している。
一人では、その行動が、覚束ないからであろう。

二面打ちで、旦那と対戦しつつ、奥さんの方にも、
手ほどきをすることにした。
着手の間が空き、少し、旦那を待たせることがある。
そうすると、彼は、それが不満であるらしい。
待てない。
イライラする。
これも、症状の一つかもしれない。

ようやく、病者を扱う、要領がわかって来た。
彼は、教えを乞いたいわけではない。
囲碁をやることが、楽しいのだ。
しかし、その症状のこともあり、相手となってくれる人が居ない。
そこで、私に、白羽の矢が立った。
要は、遊び相手なのである。
そうと分かれば、気が楽だ。
たんと相手に、なってやろうではないか。

 * * *

世に碁会所なら、たくさんある。
繁華街に店を構え、大きな看板を出すなど、何処も、
集客に腐心しておられる。
私のところくらいだろう、道楽でやっているのは。
客なんか、来ても来なくてもいい。
こう開き直れるのが、私のサロンの、強みであろう。

「囲碁の世界の、最底辺を受け持つ」
これが、私のサロンの、ポリシーであったはずだ。
そのモデルケースである、Y夫人は。
指導は、困難を極めている。
彼女は、教えたことを、すぐに忘れる。
しかたない。
また、同じことを教える。
さながら、賽の河原の、石積みのような、
忍耐を求められている。
突き放せたら、どんなに樂であろうか。
しかし、それをやった途端に、私は、私の存在理由を、
自ら否定することになる。

「碁を教わりたい時は、一人でいらっしゃい」
彼女に言った。
旦那と一緒では、二兎を追うことになるからだ。

今、私の力が、試されている。
枯木に花が咲かせられるか……
八十過ぎの、それもずぶの素人の女性が、もしかしたら、
碁が打てるように、なるかもしれない。
そこに一縷の望みがある。
ともかくも、やってみようと思っている。



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何時でもどうぞ

パトラッシュさん

月あかりさん、
目は合いません。
声もかけないでしょう。
私は、客の居ない時は、サロンの奥で、眠っていることが、ほとんどですから。
朝寝、午前寝、午後寝、夕寝など、もう、時を選ばすに、むさぼっております。
遠慮なく、ガラス戸越しに覗いて行って下さい。
なんなら、そっと、戸を開けて、お入り下さい。
「どろぼー」なんて声は、出しませんから。
持ち去るものとて、ありません。
どうかすると、気の毒になった泥棒が、置いてってくれます。
先日もそうです。
何時の間にか、傘立てに、ビニール傘が二三本、増えていました。

2018/05/12 11:22:44

近くはないのですが、時折

月あかりさん

覗いてみたい衝動にかられます。西荻にあるその
囲碁サロン、外をうろついている怪しいおばさんが
居ても、見ないふりしてください。
目でもあった日には私はスタコラ逃げ出すでしょうから。とても恥ずかしがりなのです。

2018/05/12 10:58:10

何をおっしゃいますか

パトラッシュさん

漫歩さん、
お作品を見れば、わかります。
まだまだ、その気配も見えません。

それは別に、何時でもいらして下さい。
門戸は、明け放っておりますので。

2018/05/12 10:55:48

人格の向上に……

パトラッシュさん

風華さん、
私は本当は、気の短い男なのです。
囲碁を教えるようになり、少し変わりました。
(囲碁だけですが)
「忍の一字」これを実行できるようになりました。
但し、囲碁を離れると、相変わらずですが」……

2018/05/12 10:51:59

失敗者です

パトラッシュさん

みさきさん、
実は、肉親の指導ほど、難しいものは、ありません。
教える側、教わる側、双方に、遠慮と言うものが、ないからでしょうね。
私は、子供、孫、妻に教えて、そのことごとくに、失敗しました。
「こんなことも、わからないのかー」
「だって、しょうがないでしょ」
と、こうなってしまうのです。
これが、他人だと、不思議に何とかなります。

結論、父子相伝は難しい。
昔から、他人の飯を食わすのが良いとされるのは、
こんなことからと思われます。

2018/05/12 10:48:57

わが行く末

漫歩さん

行く末などではなく、すでにその辺りまで迫っているかも知れない。

そうだ、「そのときはY氏の様になろう」。

私は囲碁を知らないから、パトさんの囲碁塾に行き(大分遠いいので道中が心配だが)、昂然として教えを乞おう。

その頃は、パトさんもその種の人の扱いに慣れておられるだろうから、私の態度など受け流して、愉しく過ごせそうだ。

パトさん、そのときは門前払いをしないでくださいね。(笑)

2018/05/12 10:17:47

人のためならず

風華さん

>今、私の力が、試されている。
 そうなのですね。
囲碁に限ったことではなく、それは私たちの日常で
見られる状況なのだと、知ることがあります。

2018/05/12 09:59:02

わが身に重ねて

みさきさん

感動です!!
どうぞどうぞ、そのY夫人のご指導を諦めないでくださいませ。やってみようと言うお気持ちが、素敵ではありませんか。

若い頃、夫の勧めで石を持ちましたけれど、短気な夫に、すぐに匙を投げられました。
才能無いのは、自覚してますが、今でも、こっそり、インターネットの初歩講座を覗いたりする私。7路盤で、あっという間に負けております。

ご指導の成果が、ある日突然、花咲くと嬉しいですね。

2018/05/12 09:29:03

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