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平成の虚無僧一路の日記

祇王と仏御前 

2018年06月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



一休は 20歳の時、琵琶法師が語る「祇王の段」を聞いて、一晩、琵琶湖のほとりで号泣し、夜明けとともに悟りを開いたという。一休は、なぜ、そんなにも泣けたのか。「一休語り」を 10年続けて 見えてきたものがある。祇王は平清盛の寵愛を受けていた白拍子だったが、「仏御前」のために、その座を追われる。一休の母も、後小松天皇の寵愛を受けていたが、皇后の讒言で、都を追われた。一休は祇王に母を重ね合わせて泣いたのかと、最初は思った。でもそれで何をどう悟ったのか?不思議に思えたのは「祇王」が主役なのに、そのライバルの名は「仏御前」。自ら「仏」と名乗るとは、なんとおこがましい、傲慢な女かと思っていた。でもなぜ「仏」なのか。最後まで読んで判った。「仏御前」は、いずれはわが身と悟って、祇王の元を訪ね、許しを乞い、自分も尼となって、仏に仕えたいと願いでる。祇王は、びっくりする。「あなたは、17歳というその若さで、悟るとは偉いわね。私など、こうして毎日仏に手を合わせてはいても、あなたのことを恨む心を抱いていたら、成仏はできなかったわ」と、仏御前を讃えるのだ。人を恨む心を抱いていては、仏の道も遠い。17歳で悟りを得たあなたこそ「仏」だと云っているのである。この「平家物語」の冒頭に語られる『祇王』の段こそ、「平家物語」を貫く「諸行無常、会者常離、栄枯盛衰」の仏教思想をエッセンスにして説いていたのだ。一休は一晩泣き明かして悟った。どんな深い悲しみも苦しみも怒りも、一晩泣き尽くせば、涙も枯れるように、忘れられる。祇王が仏御前によって悟ったように、母の悲しみも、恨みも、過去のことにいつまでもこだわる心を捨てようと、悟ったのではなかったか。苦しみ悲しみに思いをめぐらせることをやめ、一休みしようというのが「一休」の名の由来なのだ。

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