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訃報 脚本家橋本忍さん 

2018年07月21日 外部ブログ記事
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映画プロデューサーで、黒沢明監督の作品などの脚本家として知られた橋本忍さんが19日、肺炎のため死去した。100歳。
兵庫県生まれ。第二次世界大戦開戦前後に軍隊で肺を病み、療養中に伊丹万作監督に習作シナリオを送る。伊丹門下で脚本を学び、黒沢監督に芥川龍之介の「藪の中」を脚色したシナリオを見てもらう。それを1950年に黒沢監督が「羅生門」として映画化。映画はベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞する。以降、小国英雄さん、菊島隆三さんと共に黒沢作品の脚本を手がけ「生きる」「七人の侍」「生きものの記録」「蜘蛛巣城」「隠し砦の三悪人」「悪い奴ほどよく眠る」を共同執筆。黒沢監督の全盛期を支えた。
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「生きる」「七人の侍」「生きものの記録」「蜘蛛巣城」「隠し砦の三悪人」「悪い奴ほどよく眠る」は全て観まいますが、「七人の侍」は世界映画史に残る最高傑作名画だと考えています。10回以上は観ています。

最後のシーンです。
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勘兵衛がつぶやく。
「今度もまた、負け戦だったな」
怪訝な顔をする七郎次に対して「勝ったのはあの百姓たちだ、わしたちではない」と述べて勘兵衛は丘を見上げる。その上には、墓標代わりに刀が突きたてられた4つの土饅頭があった。
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戦争時代を生き抜いてきた黒澤明も橋本忍も、この台詞に戦争と平和のメッセージを込めていたと思われます。
通行人の侍役だった仲代達矢が現役で頑張っている他、島崎雪子が生きているようですが、殆どの出演者は鬼籍の方々です。

世田谷区砧の東宝撮影所は現在も健在です。ビル壁に七人の侍たちが描かれています。

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