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平成の虚無僧一路の日記

村野藤吾の伝説 

2012年02月12日 外部ブログ記事
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千代田生命ビルの建築を請け負った時、村野藤吾はすでに70歳。
それから5年。ようやく全容が完成しつつあった。先生75歳。

木1本、石ひとつの配置も、村野先生は御自ら決められた。
決して他人任せにしない。地下に設けられた茶室の坪庭に
自然石が置かれている。5、60cmほどの石だが、実は1m以上
もの大きな石が埋まっていて、地面から出ている部分は
“氷山の一角”なのだ。

このさりげない石ひとつにも逸話がある。村野藤吾は、
しばらく考えこんで「ここに」と指示した。地下の狭い
空間で、石工が苦労して、石を埋めた。

すると 一週間ほどして、先生は また 坪庭を眺め、
「あの石を5cm 右にずらすように」と。云うは易く、
行うは難しだ。また土を掘り起こして、埋め直し。

妥協を許さない“師”だった。また「村野先生」だから、
誰もが素直に指示に従ったという。


別館最上階の「ヘリ」の部分にも逸話がある。
村野藤吾は、下から33mも上を見上げて「僕はあそこは
5cmと指示したはずだ。出すぎている」と、不満を漏らされ、
足場を上っていこうとされた。先生は75歳のご高齢。
「お怪我でもされたら」と現場主任は真っ青。
「先生、私が上って見てきます」と。

そして最上階まで上って確認すると、先生のおっしゃる
通り、2cmオーバーしている。その主任は「先生の
おっしゃる通りでした」という意味で、両手で円を作って
合図した。すると先生は「そうか? 指示通り(5cm)か、
おかしいな」と不満ながら、指示通りならば仕方がないと、
直しは あきらめられた。

現場主任は、ホッとした。今さら直しようがなかった
からだ。

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