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平成の虚無僧一路の日記

千代田生命ビルへのいざない 

2012年02月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



私は昭和23年生まれた時から中目黒の隣りの祐天寺に
住んでいた。駒沢通りは「開成道路」と言われ、
当時としては道幅が広く、子供の頃は横断するのも
怖かった。

祐天寺のお寺から先、目黒川に向かって急な下り坂に
なっていた。そこに「アメリカン・スクール」が
あった。昭和27年まで、日本はアメリカに占領されて
いたのだから、アメリカ兵の子供達も多く通っていた。
ジュディ・オングも通っていたそうな。

アメリカでは、今でもそうだが、スクールバスは
追い抜いてはいけない交通ルールがある。駒沢通りは
アメリカンスクールのスクールバスや子弟の送迎の
外車で、よく渋滞していた。その交通渋滞を改正
するため、占領解除後、警察からの要請もあって、
アメリカンスクールは立川に移転することとなり、
土地の買い手を求めていた。

昭和35年、私は慶応の中等部にはいり、毎日、
アメリカンスクールの前を通って三田まで通っていた。

やがて、建物の取り壊しが始まり、巨大なビルが
形となって現れた。私はてっきり「アメリカン・
スクール」が校舎を建て直しているのだと思っていた。

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