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平成の虚無僧一路の日記

村野藤吾と丹下健三 (2) 

2012年02月13日 外部ブログ記事
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村野藤吾の「生誕100年祭」が、1991年(平成3年)、
建築界の御歴々を集めて、千代田生命で行われた。
私は、これに立ち会い、ビルの案内をかって出た。
千代田生命が、村野藤吾の代表的建築のひとつで
あることを内外に示す、絶好の機会だった。

そして そのパーティで、乾杯の音頭をとったのが、
宿命のライバル「丹下健三」だった。丹下健三は
その時 78歳。髪は黒々としていて若々しかったが、
鈴木都知事との癒着を取り沙汰されていて、心なしか
元気はなかった。そして「丹下健三の挨拶」も
私は記憶している。

「村野先生は 93歳まで、亡くなられた前日まで
元気にお仕事されていた。千代田生命ビルを完成
した時は 75歳。ますます油の乗った絶好調の時期
だった。私は、今78歳だが、皆から『もうやめろ、
やめろ』と云われてまして・・・・。 みなさんも、村野
先生を見習って、80、90まで元気に働いてください」

というようなお話だった。

丹下健三は、1913年(大正 2年)9月 4日 - 2005年(平成17年) 3月22日(92歳)
村野藤吾は、1891年(明治24年)5月15日 - 1984年(昭和59年)11月26日(93歳)

丹下健三は村野藤吾より22歳若い。共に90過ぎまで生きた。

丹下健三の葬儀は、自ら設計した「東京カテドラル聖マリア大聖堂」で行われた。
村野藤吾の葬儀は、大阪市中央区玉造にある「聖マリア大聖堂」。(ここは
細川ガラシア夫人のゆかりの地)。

東京と大阪と異なるが、共に「聖マリア大聖堂」というのが因縁を感じる。
ただし、丹下健三は、自ら設計した「聖マリア大聖堂」の地下墓地に
眠るが、村野藤吾の墓は京都南禅寺にある。いかにも、洋の東西、
時代、宗教をも超越した村野藤吾らしい。

丹下健三の「広島平和記念資料館」と、村野藤吾の「世界平和記念聖堂」が
ともに、戦後の建築としては 初めての重要文化財(建造物)指定となって
いる。

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