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人生いろは坂

正義はどこに 

2012年02月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 小沢氏の収賄容疑に関する裁判が新しい展開を見せている。先日の報道が一斉にそのことを伝えて
いる。

 そして、そうしたマスコミの先頭を切って小沢問題を報じてきた朝日新聞も一面トップの小さな
見出しで、そのことを伝えている。

 小沢さんの秘書であった石川知裕議員の供述調書が利益誘導によって作られたものである。従って
小沢裁判に証拠として取り上げることは出来ないというものである。

 そのことは初めから分かっていたことである。それは当の取り調べを行った検察自らが起訴できない
として自ら断念したものであった。それにも関わらず検察審査会なるものまで総動員して裁判を執拗に
続けようとしたのは何故なのか。

 如何に大物政治家と言えども人間である。この間の心の葛藤はいかばかりなものか。私個人は
小沢氏なる政治家を決して好ましい人だとは思っていない。しかし、彼を闇に葬ろうとした何かに対し
多大なる疑問を感じてきた。

 それは小沢さんが師と仰ぐ田中角栄氏のロッキード裁判から始まっていたと見ている。偶然かも
知れないが田中角栄氏の系譜とされる大物政治家は、ことごとく裁判で闇に葬られている。

 それはともかく、今日はgooの記事の一つに『郵便不正事件で無罪判決が確定した村木厚子・厚生
労働省元局長(56)=現内閣府政策統括官=が17日、国側が違法捜査の責任を認めて支払った
賠償金を、社会福祉法人「南高愛隣会」(長崎県雲仙市)に寄付することを明らかにした』とあった。

『同会は、刑務所を出所した知的障害者らの社会復帰を支援している。賠償金約3770万円から、
弁護士費用を除く約3千万円を寄付する。村木さんは「国民の税金を、最も光が当たりにくい人々の
ために使いたい」と話している』とも書かれている。実に素晴らしい行いだと思う。人物高潔なる
人であるが故に出来ることではないだろうか。

 その村木さんをこともあろうに冤罪で獄に繋ごうとは。あの時も新聞やテレビは裏付けもなく
いっせに村木さんを悪者に仕立て上げてきた。

 思い返せば村木さんこそ検察が意図した不当な取り調べによる犠牲者であった。罪無き人が罪を
きせられ獄に繋がれる。こんな理不尽なことがあって良いだろうか。小沢さんとて村木さんと同じ
ように法の前には平等であるべき一人である。

 先日の報道はこのようなものであった。『資金管理団体「陸山会」をめぐる土地取引事件で、
政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪で強制起訴された民主党元代表・小沢一郎被告(69)の
第14回公判が17日、東京地裁で開かれた。大善文男裁判長は、元経理担当秘書・石川知裕
衆院議員(38)が捜査段階で「政治資金収支報告書への虚偽記載を小沢氏に報告し、了承を
得た」と認めたとされる供述調書について、すべて証拠として採用しない決定をした』

 また続けてこうも書かれている。『東京地検特捜部で調書を作成した田代政弘検事(45)の
取り調べは「虚偽供述に導く危険性が高く、違法不当だった」と述べ、証拠としての能力はないと
判断した。小沢氏が虚偽記載に関与したことを示す直接的な証拠は元秘書らの調書のみ。後任の
経理担当・池田光智元秘書(34)が共謀を認めた調書の一部は採用されたものの、4月の判決に
向けて、検察官役の指定弁護士は有罪立証の大きな柱を失った』とのことである。

 こんな記事もネットの片隅には掲載されている。『小沢強制起訴を主導したのは、検察ではなく
最高裁だった――? 本当ならば仰天する話だが、ブログを中心に検察審査会のデタラメを追及
してきた匿名ジャーナリストの「一市民 T」氏がこう告発する

 最高裁の中に事務総局という組織があります。ほとんど表に出てくることがなく、秘密のベール
に包まれた組織ですが、実はここが小沢元代表をめぐる一連の裁判の“司令塔”なのです』

 にわかには信じがたいことだが、昨今のように何が起きても不思議ではないような時代に生きて
いると、それもあり得る話だと思えてしまう。

 大新聞やテレビもまた報道の全てが小沢問題を一方的に報じてきた。裏をとるということが
常識である報道関係者が十分な裏付けもなく検察が垂れ流す報道を一方的に報じてきた。その結果、
国民の多くは小沢嫌いも相まって、やはり小沢さんなら不思議ではないと信じ込まされてきた。

 これは戦時中のファッショ報道に相通じるものがある。そして政治ショーよろしく拍手をしながら
その報道に踊らされてきた国民がいる。実に愚かな茶番劇としか言いようがない。

 東日本大震災の不幸な出来事は、そうした愚かな私達に対する天啓ではなかったのか。そう思えて
ならないのである。今私達に求められているのは、真実とは何かと言うことを厳しく見つめる目である。

 今、原発を巡って様々な報道がなされている。そうした報道の中から自民党時代に行われてきた
原発行政や電力会社から報道管制のために支払われてきた莫大なお金の流れが明らかになっている。
そうしたお金に群がってきた政治家や報道関係者、そして業者達、それらは全て金に取り憑かれた
亡者であった。そうしたことの全てを明らかにしなければ、この原発問題の解決はない。

 それは単に原発を持続するかどうかを議論する以前の問題だと思うのだが。

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