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人生いろは坂
春の兆し
2012年02月13日
テーマ:テーマ無し
冷え込みはまだまだ厳しいが春の兆しが見え始めた。まず一つは朝明けるのが早くなったこと。
日中の日差しの何と明るいこと。車の中では温かさを通り越して暑いくらい。瀬戸内は確実に
春への一歩を踏み出したようだ。
さて、そんな春の兆しを予感させるような児島の地で初めて本格的な映画上映会を行った。上映した
映画は「ひかりのおと」岡山県の県北に在住している山崎樹一郎さんが脚本を書きメガホンを握った。
彼は都会暮らしから田舎暮らしに転じた若者の一人である。夏場はハウスでトマト栽培をし、シーズン
オフを利用してせっせと撮り貯めたフィルムだ。
シネマニアを中心とする大勢の仲間に支えられ見事な作品となって今シーズン各所で上映されて来た。
ここ児島も先の試写会を含め二度目の上映であった。
この作品、県北に於ける農業の実態を余すところなく描いている。酪農を営むある若者と彼の家族、
そして彼を囲む親戚や友人達。農村には決して手放しでは喜べない農家の実態がある。監督は酪農家を
モデルに農家のおかれている実態を誇張することなく等身大に描きたかったとのこと。
作品が総じて暗すぎるのではないかとか、田舎にも田舎らしい良さがあるのだから、そんなシーンも
入れてはどうかという会場からの意見に対し、その地で暮らしていると生活の厳しさの方が先に立つと
監督は答えている。いわゆるハッピーエンドで終わる劇映画風には描きたくなかったようである。
そんな気持も理解できるような気もするが、客席からの感想にも頷けるところがある。意見は総じて
二つに分かれたようだ。私達の年代層のものには分かりにくかった。暗かった等、厳しい意見が多かった
ように思われる。反面、若者の中には映画の描き方に工夫が見られて良かったなど年代によって意見は
分かれたようである。
実際のところ上映にこぎ着けるまでは苦労した。東京国際映画祭にノミネートされたとか、オランダ
のロッテルダム国際映画祭に招待されたとは言っても地方の無名の監督が作った作品である。どのように
説明しても観客の動員の一助にはならなかった。
結局、日頃のお付き合いに免じて無理をお願いしたのが偽らざる実態である。この地で映画鑑賞会を
立ち上げようと言うのがこれからの目標である。児島にはかつて幾つもの映画館があった。それらは
ことごとく閉鎖され、今は一館も残っていない。
映画の衰退は著しい。しかし映画が唯一の娯楽であった時代に育った私達としては、ぜひとも実現
したい夢の一つである。今はアレコレと策を練っている。
ともあれ苦労の多かった映画会が一応成功裏に終わってホッとしている。さあ春だ。更に飛躍の時で
ある。人生は楽しむためにある。これが今の私の生き方である。
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