メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

ZRX1200S城

京都 深草・伏見を歩く 1 

2012年03月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

  京都 深草・伏見を歩く 
 
歴史の会で京都に行く企画がありましたので参加しました。
 
福山から4千円足らずで京都まで往復できるのでこの機会を逃す手は無いと、参加しました。                                 
青春18きっぷというのを使い行きました。
若者じゃなくても使えるみたいです。それにしてもこっぱずかしい名称
                                                                網干(あぼし)駅で小奇麗な新快速に乗り換えです。
 
    ここから京都まで乗り換えなしです。 
必ず座れるし綺麗だし京都までずっと寝てました。 
 
新快速連結中                   
 

京都で乗り換え JR藤森駅へ
 
最初の訪問地・欣浄寺(ごんじょうじ)
 
鎌倉時代の寛喜2年(1230)頃に、道元禅師が布教に務めた地
 
 道元禅師の聖地「深草閑居の史跡」とされます。
 寺伝によれば応仁の乱(1467)までは真言宗の寺院だったと伝わるが、天正・文禄年間に浄土宗に改宗しています。
 
元は深草の興聖寺内にあった安養院と云う寺で、天正年間にこの地に移り文化年間(1800年頃)に曹洞宗になり清涼山欣浄寺と号する
コンクリート造りの本堂には、丈六の毘廬遮那仏(びるしゃなぶつ)をはじめ、阿弥陀如来像、道元禅師石像などが安置されています。



本堂


               
 伏見の大仏(丈六の毘盧舎那仏 びるしゃなぶつ)
 丈六とは1丈6尺のこと(約4.85M)

 

 
庭は深草少将の邸宅址で、少将はここから山越えに山科の
小野小町のもと(随心寺)へ百夜通ったという事です。
 
百日通ったあげく、百日目に雪の中で野垂れ死にしてしまった。境内には「小町姿見の池」があり、
池の畔には少将と小野小町の供養塔や、深草少将遺愛の墨染井がある。池の東の藪陰の道は「少将の通い道」と呼ばれています。
小町姿見の池

 
   少将の通い道

 
 深草少将が小野小町にあてた手紙で作ったとされる深草少将の人形

深草少将は実在しなかった説が有力です。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 墨染寺(ぼくせんじ)

墨染寺(ぼくぜんじ)は874年創建のお寺で大変歴史は深く、豊臣秀吉により復興されたお寺です。

墨染寺には、墨染という名がつく元となった墨染桜(すみぞめざくら)があります。
墨染桜には、平安時代の歌人の上野峯雄が藤原基経の死を悲しみ、
「深草の 野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨染に咲け」と歌を詠んだところ、桜の花が墨染色に染まったという伝説があります。

現在墨染桜は3代目で、まだまだ若い木ですが、墨染色の立派な花を咲かせます。

 
 
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
 
藤森神社
 
今から約1800年前に、神功皇后によって創建された皇室ともゆかりの深い古社です。本殿は正徳2年、中御門天皇より賜ったものです。特に当社は、菖蒲の節句発祥の神社としても知られ、今日では勝運と馬の神様として、競馬関係者(馬主・騎手等)、また、競馬ファンの参拝者でにぎわっております。
 
         南門より入りました。

 
           鳥居とクスノキ
       長い参道が続きます。
       額が外されています。近藤勇が外したとも云われています


 



 
 
 拝殿に到着
 
 
 
 
南門を振り返る
鳥居はもう見えません

 
 
 
 
 
 
 
 
                                                                   
 
拝殿前の狛犬 昭和五十年製
 


 
 
 
 
                        拝殿 
   本殿と同時に御所より賜ったもので、割拝殿として有名です
          割拝殿とは中央が土間になり通り抜けられる拝殿です。              

 
 

              西 門 
    鳥居・狛犬・鳥居・狛犬                      


                                       
 
西門鳥居の狛犬 昭和九年製

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                                          
西門2の鳥居の狛犬 昭和五年製


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
本殿     
    切妻造桧皮葺 正徳2(1712)年
    中御門天皇より賜ったもので、宮中内侍所(賢所)でした。
    現存の賢所としては最も古く、その原型をよくとどめています。


 
千鳥破風と唐破風(前)を重ねた拝所が付けられています     

 
    拝殿東の藤森稲荷社

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  旗塚   
 神功皇后が三韓征伐から凱旋した後、この藤森の地を聖地として
軍旗の中で一番大きい旗(纛旗:とうき)を立て、武具を納め神祀を行った所と云われます。
旗塚の木の株をさすり祈ると腰痛が治るという信仰があり、新撰組の近藤勇も祈願にたびたび訪れたと云われます。


 
拝殿の後には重文級の摂社がずらりと並んでいます
 

八幡宮社

(重要文化財)

祭神は応神天皇。
 
現在の社殿は、永享10年(1438)足利義教が造営したものです。
 
 
 
 
 
   
 
 
大将軍社
(重要文化財)
祭神は磐長姫命。
平安京遷都の際、王城守護のために都の四方に祀られた南方の守護社。
 
現在の社殿は、永享10年(1438)足利義教が造営したものです。
 
  
 
 
 

 天満宮社 
 
菅原道真公の怨霊を祀っています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
       本殿柵内の東に大きな狛犬がいます。
 かなり崩れていますが来待石製の大きな構え獅子だったようです。
       木枠の間からなので

かなりの尻上げ
大きい尾が見えます。


なんとか顔が残っています。


ちょっと藤森神社で尺を取りすぎました。
次回は後深草天皇陵から伏見稲荷までの予定です。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ