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たかが一人、されど一人

根っこを思う 

2012年04月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

珍しく先程からしきりに雷が鳴っている。ぱっとしない今年の天気がこの春雷で一気に変わってくれれば嬉しいが、なかなかそう上手くは行きそうにない。年初は株をしている友人が「今年はかなり景気が良くなるだろう。」と言っていた。先日日経平均が1万円を超えたと聞いたので、彼の言っていた通りで結構な事だと思っていたが、最近は又株価も少し低迷しているようだ。仕事もなくて社会のお荷物になっている身だから、偉そうなことを言えた義理ではないが、これだけ人口の高齢化が進み、輸出産業の大部分が後発の低賃金国に追い上げられて縮小せざるを得ない状況だとすれば、経済の活性化は当分望むことが出来そうにない。デフレ脱却も我が命のあるうちは難しいだろう。なんて悲観的な事を考えてしまう。何か画期的な産業でも起こってほしいが、他人任せではどうにもならない。政府も躍起なのだろうが、今や政治家や官僚が産業界をリード出来る世の中ではないようだ。明治維新の頃であれば、官が世界に然るべき人物を派遣し集めた最新の技術や情報を集積して、民間をリードしながら産業の育成を図ることが可能だった。しかし現在は世界の産業情報は民間の方が多く持っていて、官が民からそれを教えてもらっている状況だろう。その情報を貰うために、税金や国債からなる予算を張り付けているとしたら、本末転倒も甚だしい。次の選挙に於いてはどんな党派が出現してくるか、皆目予想できないが、いっそ「経済政策は万策が尽きています。皆さん自由にやって頂けるように規制はできるだけ緩和しますが、財政的には徹底的に緊縮策を取ります。」と公約を掲げる政党が出現したら1票を投じてみたい気がする。想像するに、誰もそうはっきりとは言わないだろうが、誰に政権を任せても少し長期的に考えれば、最終的にはそうせざるを得ないのではないだろうか。社会保障で生かされている身として辛いが、そう長い年月ではあるまい。お題目をどう唱えても経済政策なんて無いに等しい。平成生まれの新人が社会人になり始めていることを考えると、今後の問題はむしろ教育政策にあるように思えてならない。偶々この4月からゆとり教育の見直しで、土曜日の授業が始まったそうだ。まだ月に一度だけらしい。孫もバスケット部を退部して、少し勉強をする気が出始めている。嬉しいが、勉強を親の前でするのは鬱陶しくて困ると報告があったらしい。困った親だが、孫にはエールを送りたい。

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