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黄金間週 

2012年04月28日 外部ブログ記事
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ゴールデンウィーク大型連休の始まりである。婆さんはしきりに「どこにも出かける予定が無いのか?」と不満顔である。天気も良くなってきたので、1日位は近くだったらハイキングにでも行こうかと思うが、混雑を思うと遠出をする元気が出ない。第一この期間、JRの割引が一切利かないのも不便だ。1年中ゴールデンウィーク見たいものだから無理する必要もないし。床屋に行ったら、隣に座った爺さんが「9日間も休みが続いたら、仕事に行くのが嫌になってしまうだろう。」余計な心配をしていた。今日は普通の土曜日だが、60年前の1952年4月28日はサンフランシスコ平和条約が発効した日に当たる。ソ連や中華人民共和国(戦争の当事者でないので参加せず)など調印しなていない国もあるが、連合軍の占領が終了、日本が独立した日でもある。同時に日米安保条約が調印されているので、実質的にはアメリカが駐留軍として残り、かなりインチキ臭い感無きにしもではあるが、今日こそ祝日とすべきだとの意見は多い。小生も賛成である。明治憲法発布の日を以て建国記念日とするより、余程意味がしっかりしていると思う。それにしても国家の自主独立とは難しいものだ。ちょっと興味をもって昨日夕食時に話をした。婆さんの方が歴史を孫に聞かれても答えられるように、普段から真面目に対策しているので子供向けの参考書を持っている。アメリカのペリーが艦隊を率いて開国を迫り、日米和親条約が締結されたのが1854年、以後明治維新を経て、西欧先進国の植民地とならず日本は辛うじて独立を守った形ではあるが、日米通商航海条約改正により関税自主権を回復し、不平等条約の撤廃に成功(実質的独立)したのは、なんと1911年となっている。当時でさえ、本当の独立国家としてアメリカに認められるまでには57年もかかっているのだ。その間明治5年から7年にかけての欧米に派遣された使節団の悪戦苦闘など、まるきり赤子扱いをされた事など、明治の先輩の努力は聞くも涙の物語だ。ついでに韓半島の朝鮮について言えばもっと大変である。19世紀末に清との宗属関係から逃れて独立を夢見るが、逆に日本に併合されたりして、1945年の終戦で独立を獲得したと見たにしても、やはり60年は優にかかっている。元に戻って我が日本だが、やはり戦争に負けた傷は深い。1945年が独立国家でなくなった日とすれば、既に67年の歳月が経つのに、明確な宗属関係が無いとは言っても、実態的にはアメリカの属国であるのは否定しにくい筈だ。国民の大半がそれで良しとするなら仕方がない。少なくとも小沢一郎はさすが慶応出身だけあって、自主独立の国家を目指したいようだ。しかし福沢諭吉先生も仰っている。政治家だけで国家を動かすことが出来れば簡単だが、クーデターを起こそうと何しようとそれではだめだ。民衆の動向があってはじめて国家が動く。民衆が動くと誰にも止める事はできない。さすが、アメリカはその辺をよく知って、国民の目を上手にそらしている。

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