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たかが一人、されど一人

トップの力量 

2012年05月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

サラリーマン時代の管理職研修で聴いて以来、現在でも相当信じている事がある。「組織は、その頂点に立つ人の能力以上の力は発揮できない」下にどんなに優秀な人間がいても、上に立つ人間が盆暗だと組織の力が発揮できないものらしい。当時は下の下に居て、上に立つ人を腹の中で余り利口でないと思っていたので我が意を得た思いだった。罰が当たって会社を辞める羽目になったが、今でもこの刷り込みは一層深くなっている。国家は会社組織とは違うが、人間が有機的に関わる事では一種の組織と見たらと思った。首相が社長さん、閣僚が役員、地方の首長は支店長。東京在住でほんの僅かしか納税しない小生は、東京支店の下っ端営業マンと見立てて考えると、サラリーマン時代とポジショニングは大差ない。生まれた時の総理は米内光政さんだが、こんな時を論じても始まらない。サラリーマンとなって納税者になった時は池田勇人さん、以来現在の野田さんで20人目の社長さんにお仕えしたとしよう。小生から見れば、皆さん優れた方だったと言うことだろう、40年間大過なくささやかな納税を続けさせて頂けた。両親の時代とは異なり、親戚や家族から誰かが強制的に殺し合いの場に引っ張り出されることもなく平和でもあった。以て感謝すべきだと思うし、同様に考える日本人は案外多いかもしれない。池田総理から野田総理まで全ての総理が、日本国憲法に基づく議院内閣制で民主的に選ばれた総理である事は言うまでもない。従って、戦前の、重臣会議からの奏薦によって天皇が総理を選任する方式が良いと言ったり、北朝鮮や中国の一党独裁が良いと言う心算もなかった。しかし最近は、この民主主義なるものに胡散臭さを感じて困っている。戦前の仕掛けをよく理解しないままではあるが、誰かうんと賢い人がトップを決めた方が、ひょっとしたら日本国(の経営)がうまく回るのではとさえ思えてくる。歴史は旧憲法下の制度が、現在の北朝鮮同様の軍国主義をもたらしたことを証明しているので、先祖返りは無理だとしても、何か他の知恵は無いのだろうか。政治に携わる殆どの人が民主主義の擁護派だろう。小生のように、国のあらゆることが総理の能力に依存すると単純に考えれば、民の圧倒的多数は利口でないので、民主主義は不都合になる。馬鹿でも大勢集まれば、神の見えざる手によって正しい道が選ばれる、と信じる人がいるらしい。経済学なんかにも似たような理屈があるらしいが、神の見えざる手なんてインチキ臭い事を信じていいものだろうか?政界を思うに何れの政党でもトップが余りにも軽量化しすぎている。昔から我が国には「実力者は表に出ない」で「トップは軽くてパーが良い。」との風潮がある。特に後者は小沢一郎氏の言だ。この考えは賛成しかねる、何でも軽ければいいと言うものでもあるまい。

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