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平成の虚無僧一路の日記

紅花の産地だった「長南町」 

2012年05月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



今回の墓参りで「長南(ちょうなん)町」のガイドブックに
「紅花と言えば山形ですが、紅花の原産地はここ長南町で、
室町時代に武田に攻められ、敗れた長南一族が山形に逃れて、
紅花を山形に伝えた」とありました。

ネットで見ると「長南」姓は山形に多く、「全国長南会」
という組織が「長南氏」の歴史について詳しく調べています。

1456 古河公方の命で武田信長、長南に侵入。長南修理介常春(23)降伏。
1459 長南氏義、千葉氏に抗す
1476 長南氏、出羽最上の清水氏に名抱えらる

この時「紅花」を山形に持ち込んだのでしょうか。

しかし、山形での紅花の栽培が盛んになり、「国産品」
として出荷されるようになるのは、江戸時代の後半です。

私の勝手な推測ですが、小田原北条氏滅亡後、信濃高遠の
保科正光がこの地を支配しており、10年後、大阪の陣以後
高遠に戻り、後、保科正之の代に山形へ移封、さらに
会津に転封となります。紅花は会津でも栽培されるように
なっており、長南の紅花は保科氏によって山形、会津に
伝えられたのではないかと。

会津の蕎麦(ソバ)は、保科氏が信州から伝えたというのは
よく知られた話です。紅花もそうではなかったかと思うのです。

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