メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

たかが一人、されど一人

学校でのいじめ 

2012年07月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

いじめ問題で世間が騒がしい。弱い者をいじめて面白がる悪ガキはいつの世もいるのだろう。しかし、教師が何も気づかないなんてことが本当にあるのだろうか?小学校や中学校ならクラス担任は朝に夕に、ひょっとしたら昼食時にもクラスの全員と向き合っている筈。何処かで必ず悪さの現場を目撃するだろうし、どんなにしらばっくれても、悪さをした後の顔色が分からぬ筈はないと思う。まして加害者と被害者が同じクラスならば雰囲気的に一目瞭然だろう。クラス担任が未熟であれば、他の先生だって悪ガキは直ぐ分る。そのための職員会議だと思っているが、現代の義務教育はそんな空気も読めない程まで堕落しているのだろうか?3歳の孫も幼稚園の問題児で、入園早々全ての先生が名前を覚えて下さったとのこと。一般の園児より少し遅れているので失敗が多く、泣き声も大きいのだろう。DNAを分けている小生も幼稚園から高校まで一貫して問題児。お陰で学校中の先生が名前をご記憶頂いたに違いない。先生方からすれば校内に警察官が侵入することに抵抗感があるようだし、警察の方にも同様な感じがあるのだろう。これも不思議で仕方ない。お祭りや盆踊りのような催事には事件や事故がつきもの。従って町内会などの自治会は、お願いして警察に来てもらう。先生や生徒の自治会がヤクザまがいの恐喝や度外れた悪ふざけを抑止できないなら、校内に警察官に駐在してもらった方が善いだろう。アメリカ辺りはそんな学校もあると聞いた気がする。学級崩壊も児童の学力低下も大きな問題かもしれぬが、学校の存在をもっと根本的なところから見直す必要があるようだ。己を振り返ると、自分と先生そして同級生、この三者の間には好き嫌いを超えた、言うに言われぬ強い因果が存在していた。流行りの絆は嫌いだが、70歳を超えた現在でも小中学校の同窓会を当時悪ガキ代表の小生が主催しているのも何かの因縁だ。昔と異なり現代は、小学生なんかの社会環境は激変している。昔は家庭内に遊びの余地は殆どなく、遊びは外、その大部分が学校だった。今はテレビがある、ゲーム機がある、塾もあれば、スポーツクラブやコンビニもあるで社会が広がり、学校内の人間関係が凄く希薄になっているのかもしれない。勿論先生の方から考えても同じで、教師生活は報酬分の身過ぎ世過ぎの縁、決められた労働時間内に決められた作業をしているだけのことか。決められたことをきちんとやっているのだから、何か文句があっか。と言われれば確かに文句のつけようはない。学校教育に関して論評できる身ではないが、何となく釈然としないので触れてしまった。教育に関係してきた諸氏のご意見を拝聴したい。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ