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たかが一人、されど一人

愛国者(patriot)? 

2012年12月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

明日の開戦記念日に日記を書けないので今日のうちに一言書きたい。大東亜戦争は私が誕生した翌年満2歳にならないうちに始まり、学齢にも達しない満5歳で終わった。しかし戦争については沢山の記憶を持っている。父が遥か南洋のバリ島と言う島に出征したこと、疎開のつもりで越した長野でさえ敵アメリカ機の空襲があり、更に山裾に逃れて一夜を過ごしたこと、終戦と同時に父は音信不通となり、母は半分その生存を諦めかけたこと等々である。同年齢でも満州や朝鮮にいた人達、大都市在住で空襲に被災された方々に比べれば比較にならぬほど安全でのんびりした生活ではあったと思うが、それでも戦争と敗戦によって与えられたインパクトは強烈なものがある。我が両親がアメリカ人であったら、結果が勝ち戦になるので印象もかなり異なるかもしれない。敗戦は物心つかない子供の心さえ少し傷つけたかも知れない。しかし、基本的には勝ち負けの世界だから今度戦う時に勝ちさすればいいじゃないかぐらいのことで、大分後まで戦争を詳しく知りたいと思っていた。いつの時代も同じであろうが、庶民は今日と明日の暮らし、即ち何を食うかが第一であり、子供は第二も第三も無い。昨日までの戦争のことなどすぐ忘れたし、丸五年間父親がいないことも不思議に思わなかった。余談になるが、半分死んだと思っていた父は、幸いにも終戦二年後の春に突然帰ってきた。あれから70数年か、それを記念すべきかどうかは別にして開戦の日が明日になる。日の丸を掲げて祝ってはいけないだろうが、日本人全員があの戦争に思いを致すことが必要ではないだろうか?尊い命を落とされた300万人を超えるとされる方々や遺族の方々には誠に申し訳なく残念ではあるが、小生は今、結果的にあの戦争に負けてよかったのではと思うようになっている。負けたから徴兵にも取られず長生きできたとのケチな話ではない。富国強兵で突っ走ってきた日本が終戦から67年、少しアメリカの手先として戦争にコミットしてはいるが、概ね戦争をせずに今や独立国としての地位を保っている。識者に言わせると世界的にも稀有なことらしい。願わくば子や孫の時代も同じであってほしいものだ。領土も大事かもしれないが、そのため意味なく殺されたり殺人をするよりは、極論して領土なんかに拘らない方がいいかもしれない。貧乏は殆どの人が我慢できるだろう。国の平和を維持するためには、国家指導者の並々ならぬ政治的手腕が必要であるのは分かるような気がする。たまたま北朝鮮のミサイル発射準備にかこつけて子供の戦争ごっこみたい騒ぎが持ち上がっている。マジなのか冗談なのか分からないが我が国指導者の思考回路を疑いたくなる。

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