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平成の虚無僧一路の日記

松平容保は水戸の血筋 

2013年01月09日 外部ブログ記事
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映画『影狩り』は「森藩の世継ぎ」を巡っての秘策
だったが、会津藩でも同様のことがあった。

江戸時代、各藩は「世継ぎ」に悩まされる。あちこちから
養子を迎えているので、江戸初期から一系の藩は珍しいのだ。

会津藩も2代将軍徳川秀忠の落胤「保科正之公以来の」と
言っているが、実は7代容衆が20歳で亡くなり、「正之」の
血筋は断絶している。

「容衆」に子が無く、家老 田中玄宰は、苦慮していた。
そこへ、水戸藩の徳川治保の次男保友(後の高須松平義和)に
三男が生まれると知って、秘かにもらいうけ、「容衆」の
子として幕府に届け出たのである。

父の「義和」は水戸の次男坊であるから「美濃高須家」の
9代藩主に迎えられる。その子が「義建」。会津8代藩主
「容衆」とは実の兄弟になる。

そして「義建」の子「容保」が、叔父である「容衆」の
婿養子となった。養父「容敬」は、表向き(幕府への届出)は
「会津7代藩主容衆の実子」なのだが、実は、美濃の
「高須義建」と兄弟である。そのことは公然の秘密になって
いたのだろうか。

幕府を欺いたことになり、重大問題のはずだが、どうせ
幕閣も各大名の回り持ちで寄り合い所帯。どうでも良かった
のかも。

というわけで、美濃高須松平の「義建」も会津松平「容衆」も、
その父は水戸の徳川治保であるから、水戸の血筋なのだ。


水戸といえば「水戸のご老公、光圀」(水戸黄門)だが、
その後の3代藩主は、光圀の兄の子「綱條」で、高松藩
からの養子だった。 4代「宗堯」も高松藩から。

『八重の桜』でも出てきた幕末の水戸のご老公「斉昭」は
子沢山で、三男「慶喜」は一ツ橋家に養子にはいって、
15代徳川将軍となった。「斉昭」の12番目の子で「慶喜」の弟
「喜徳」は、なんと松平容保の養子に迎えられ、会津藩
10代藩主になった。

『八重の桜』でも、「外国船打ち払い」を主張する水戸の
徳川斉昭を松平容保が反対して、犬猿の仲のように描かれるが、
その後で「容保」は「斉昭」の子を養子にしているのである。

会津戦争の時の名目上の藩主は、水戸斉昭の子で、徳川
慶喜の弟「喜徳」なのである。そのことはドラマでは
いつもカットされ、ほとんど知られていないのだ。

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