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笹舟の人生雑記帳

新撰組・近藤勇の墓所 

2013年01月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 
 
昨日、
学生時代の友人達との新年会があり、
会場の東京都北区板橋のレストランに出かけました。
 
ところが、
帰りに「お茶でも飲もう」と言うことになり、
改めて埼京線の板橋駅前の喫茶店に向かったところ、
賑やかな駅前の一角に思わぬ歴史遺跡を
発見しました。
 
それは、
我が町の流山市で捕縛され、
この地で処刑された新撰組局長・近藤勇や
土方歳三をはじめ幕末に倒れた新撰組隊士達の
墓所だったのです。
 
1868年(明治元年)4月、
近藤・土方が率いる新撰組百数十名は、
下総流山で土佐の香川敬三率いる官軍に包囲され、
幕府役人と偽って埼玉県越谷の官軍本営に出頭するが
新撰組局長・近藤勇とバレてしまい
この板橋駅前で斬首されました。
 
維新が落ち着き、
杉本義衛と名を変えて生き残った新撰組三番隊長
神道無念流の剣客・永倉新八が
死んで行った近藤や土方をはじめとした新撰組の仲間達を偲び、
明治9年にこの墓碑を建てたと言う。
 
死の床で永倉新八は、
仲間がいるこの地に我が身を埋葬するよう家族に言い残し
大正4年、77歳で静かに息を引き取りました。
 
時は流れて145年後。
近藤勇が最後に辿った流山から板橋までを

私はに新年会とはいえ思いもかけず辿ったことになり、
改めて心が引き締まる思いがしました。
 

賑やかな埼京線板橋駅前にある近藤勇墓所
 

近藤勇と土方歳三が併記してある所を見ると、永倉新八は余程この二人に愛着があったのだろう。
 

この石の下に近藤勇の胴体が埋葬されたと言う
 

墓所の一角に立つ永倉新八の墓

※当日、カメラを持っていなかったので写真はネットでお借りしました。ご了解ください。

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