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平成の虚無僧一路の日記

西南戦争「熊本城」救援一番乗り「山川浩」 

2013年01月27日 外部ブログ記事
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『八重の桜』は まだ緒についたばかりというのに、気がせく私は
明治10年の「西南戦争」へ ひとっ飛びぃ?。

昨年の春「熊本」へ行ってきました。熊本城の広大さに、
「西郷軍」の砲弾も 届かなかったのではと、「難攻不落」の
城に納得。小田山から 人の動きまで見下ろせ、天守閣を
的にガンガン撃ち込まれた「鶴ヶ城」とはえらいちがい。
(籠城戦になる前、なぜか天守閣や本丸が 失火で?
しっかり焼失してしまったそうな)

西南戦争では、熊本城は 熊本鎮台司令長官「谷干城(たに たてき)」が
守り、52日に及ぶ篭城戦となります。救援に向かった政府軍の
中で、イの一番に熊本城に入ったのは、「山川 浩」中佐隊でした。
なんと旧会津藩士。谷干城は土佐藩士として会津を攻めた側。
まさに“昨日の敵は 今日の友”。実は「山川浩」は「谷干城」の
推挙で明治政府の陸軍にはいり、出世したのですから、恩人でも
ありました。

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