メニュー
最新の記事
-
ブログ「爺の一人旅・世界の106ヶ国へ」を読んで下さった方々へ -
スリランカのゴールでノンビリ〜〜〜 -
ブエノスアイレスは、日本人が多い〜〜〜〜〜 -
ヨルダンのアンマンは、他のアラブと違う所が・・・・ -
アフリカで2泊3日の汽車の旅〜〜〜〜
テーマ
カレンダー
月別
- 2017年10 月( 1 )
- 2017年09 月( 1 )
- 2017年08 月( 15 )
- 2017年07 月( 15 )
- 2017年06 月( 15 )
- 2017年05 月( 16 )
- 2017年04 月( 16 )
- 2017年03 月( 23 )
- 2017年02 月( 15 )
- 2017年01 月( 15 )
- 2016年12 月( 15 )
- 2016年11 月( 14 )
- 2016年10 月( 15 )
- 2016年09 月( 15 )
- 2016年08 月( 15 )
- 2016年07 月( 16 )
- 2016年06 月( 14 )
- 2016年05 月( 16 )
- 2016年04 月( 15 )
- 2016年03 月( 16 )
- 2016年02 月( 16 )
- 2016年01 月( 15 )
- 2015年12 月( 16 )
- 2015年11 月( 15 )
- 2015年10 月( 16 )
- 2015年09 月( 15 )
- 2015年08 月( 16 )
- 2015年07 月( 15 )
- 2015年06 月( 20 )
- 2015年05 月( 22 )
- 2015年04 月( 15 )
- 2015年03 月( 15 )
- 2015年02 月( 14 )
- 2015年01 月( 17 )
- 2014年12 月( 15 )
- 2014年11 月( 16 )
- 2014年10 月( 28 )
- 2014年09 月( 15 )
- 2014年08 月( 17 )
- 2014年07 月( 15 )
- 2014年06 月( 29 )
- 2014年05 月( 25 )
- 2014年04 月( 16 )
- 2014年03 月( 16 )
- 2014年02 月( 15 )
- 2014年01 月( 16 )
- 2013年12 月( 21 )
- 2013年11 月( 14 )
- 2013年10 月( 16 )
- 2013年09 月( 15 )
- 2013年08 月( 17 )
- 2013年07 月( 16 )
- 2013年06 月( 29 )
- 2013年05 月( 15 )
- 2013年04 月( 20 )
- 2013年03 月( 15 )
- 2013年02 月( 15 )
- 2013年01 月( 15 )
- 2012年12 月( 15 )
- 2012年11 月( 16 )
- 2012年10 月( 15 )
- 2012年09 月( 16 )
- 2012年08 月( 16 )
- 2012年07 月( 24 )
- 2012年06 月( 22 )
- 2012年05 月( 14 )
- 2012年04 月( 16 )
- 2012年03 月( 14 )
- 2012年02 月( 15 )
- 2012年01 月( 14 )
- 2011年12 月( 15 )
- 2011年11 月( 13 )
- 2011年10 月( 29 )
- 2011年09 月( 15 )
- 2011年08 月( 15 )
- 2011年07 月( 16 )
- 2011年06 月( 15 )
- 2011年05 月( 15 )
- 2011年04 月( 17 )
- 2011年03 月( 22 )
- 2011年02 月( 14 )
- 2011年01 月( 14 )
- 2010年12 月( 17 )
- 2010年11 月( 8 )
爺の一人旅・世界の105ヶ国へ
タジマハールの街・アグラ〜〜〜
2013年02月04日
テーマ:テーマ無し
タジマハールの街・アグラ〜〜〜
アグラの空港では、個人旅行者は爺一人で、
タクシーのボスが、横柄にホテルを指定しようとしたので、サッサと表へ出る。
夜なので、タクシー以外のバスがない。
白タクらしき小父さんが、近寄って来る。
値段交渉し、ガイドブックより廉かったので、乗る。
ホテルもタクシーの小父さんに、値段を指定して泊まる。
タジ−マハ−ルに近く、歩いて行ける所と言うふれ込みである。
MAYAホテルで、250RP(700円)にする。
綺麗で、1Fにはレストランもある。
3階の個室は綺麗だが、夜はチョット寒い。
明け方はもっと寒くなった。宿を替え様と思う。
人力車の小父さんを信用して、別のホテルも幾つか探す。
幾つか見て、マアマアの所を決め、MAYAに戻り荷物を纏めていると、
マダムが飛んできて“何故替わるのか?”と聞く、
“寒いからだ”と応えると、慌てて電気ストーブを持ってくる。
試しにつけて見ると暖かい。サービスだと言う。
ママの言うとおり、続けて泊まることにする。
レストランで、ランチとビール飲みながら、
ボーイ達にママに捕まったと言うと、皆笑った。
コックが、あのスト−ブは、旦那の物だと応える。
皆が笑っている。なにしろその時は、
お客さんは爺一人なので、ボーイ達もコック達も、
爺の廻りに皆集まって来るのである。
その後、時々そこのレストランで会う旦那は、
爺を見ると、何時も肩を落として見せた。
翌日、タジマハ−ルを見学する。
想像よりコジンマリとしているが、大理石の色合いが素晴らしい。
内部には、棺が二つある。不思議な音が微かに響く、風の音のようでもある。
空間を上手く利用して、音が奏でられているみたいだ。
悲しいが心静まるメロデイーである。
建物も庭も室内の装飾も、正に芸術の極みである。
1歩、外の世界は、混沌の世界だけに、その対比が大きな驚きである。
タジマハールで、インド服を着ているが、紛れも無く日本の青年が歩いていた。
話掛けると“オッチャン!オッチャン!”と大阪弁で話し込む。
インドへ来て1週間くらいで、日本人に初めて会ったと喜ぶ。
インド料理を習いたいとのことであった。
彼はデリーに着いて、旅行代理店のお兄ちゃんの勧めるまま、
ガイドとホテルを決められて旅行していた。
爺の3倍のホテル代で、ホットシャワーもないらしい。
デリーは丁度独立記念日で、ホテルが取れないらしい。
1週間続くそうなので、アグラに暫くいることにする。
何時もの人力車の小父さんに、誘われるままにアグラ城やべビータジマハ−ルも見学する。
この小父さんは、毎日私を何処かに誘う。散髪もネット屋も教えて貰う。
タジマハ−ルの対岸にも、行って川越しに端正な城を見る。
しかし対岸は、貧民街でその対比が凄かった。
ゴミとドロドロの道と、路地でウンチしている子供。
インドの貧富の差は、凄まじいものである。
ここは1人では、決して歩けない。
2003年1月の思い出
最初の旅・世界周遊 より
>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)
この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません