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昭和2年生まれの航海日誌

蜂と花粉の少年期 

2013年03月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


 菜の花に近づくと、バタッ、とヒヨドリが飛び立った。
 サヤが膨らみ始め、ミツバチがやってきている。

 
 一瞬にして脳裏に遠い昔の思い出が映し出された。
 広いレンゲ畑、青い麦、黄色の菜種の花、まるでパロラマの
ような眺望であった。

 菜の花は、ここのものとは種類が違うようである。
私の在所のものは,ガッシリしたセイヨウナタネであった。

 この時期になると、養蜂家が堤防、あぜ道に巣箱を沢山置いて
蜜の採集をしていた。

 自転車で道路を走ると、蜂が顔によくぶつかったものである。
ミツバチは怖くなかった。お寺の南面に縁側の下から這い出して
来て、手の甲を刺されれも痛くはなかったので、面白がって、
わざと刺させて遊んだものだ。

 夏になると、アシナガバチが動き出す。これはかなり危ない。
 兄と長い竹竿で突き上げるのだが、刺されるのは弟の方である。

 痛い,見る見るうちに膨れ上がる。大泣きをしながらも涙の目で
みると、兄は笑っている。
 悔しい、これは兄のせいだ。さっきまで加勢していたことなど
考える余地があったものではない。

 菜種の花の下を潜り走り回った。
黒の木綿の服は黄色い花粉だらけになる。鮮明な色合いで
誰が見てもよく判る。

 耕作者に怒られ、母に叱られる。
 その服で学校へ行ったものだ。
勉強はしていない。何より成績がものを言う。

 でも、こんな連中が甲種合格で兵役に服すると、結構やれる
ものなのである。

 小学校の追悼碑を見た。太平洋戦争だけで50名以上の
戦没者。300戸はかりの在所のことである。

 思い出しただろうな、異国の山野で”ナタネの花”を。

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