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平成の虚無僧一路の日記

西條八十「その夜のお侍」 

2013年03月28日 外部ブログ記事
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『うたでつづる 明治の時代世相』(国書刊行会出版)の冒頭に
西條八十の詩『その夜のお侍』というのが載っているそうです。
発表されたのは 昭和2年。雑誌『少年倶楽部』。

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宿貸せと 縁に刀を投げ出した
吹雪の夜の お侍。

眉間にすごい 太刀傷の
血さへ乾かぬお侍。

口数きかず 大鼾(いびき)
朝まで睡(ねむ)って行きました。

鳥羽の戦の 済んだころ
伏見街道の一軒家。

その夜炉辺で あそんでた
子供は ぼくのお祖父さん。

吹雪する夜は しみじみと
想いだしては 話します。

うまく逃げたか、斬られたか
縁に刀を投げ出した その夜の若いお侍。

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慶応4年正月3日、鳥羽伏見の戦争が起こり、
会津藩を主とする東軍は敗走した。吹雪の夜、
伏見街道の一軒屋に血まみれの侍がやってきて、
宿を貸せと、そして大鼾(いびき)で朝まで眠りこけた。

それを炉辺で見ていたのは「僕のお祖父」と。
はて、西條八十の祖父だろうか。西條八十は
1892年(明治25年)東京の生まれです。

鳥羽伏見の敗兵の生々しい話は、どのように
八十に伝わったのだろう。

和歌山県では、当時の庶民の聞き書きがまとめ
られていた。慶喜と藩主容保の逃亡によって
置き去りにされた会津藩兵たちは、御三家の
紀州(和歌山)に逃れた。

和歌山県御坊市の久保田久良さんが曾祖母から
聞かされた話には、涙がこぼれます。

「会津の落ち武者が ここへ来られ日は大変寒い日でした。
侍さんたちは家の前に積んであった材木によりかかって
休んでおられた。 怖いもの見たさに 戸の隙間から
のぞいてみました。偉い侍さんが眠ると、お付きの
人達が陣笠をさしかけて顔に雪がかからないように
していました。

翌日には家に入れてあげてもよいことになって・・・(中略)。

娘(久良さんの祖母)が琴を習っていましたので、
お侍さんから 琴を弾いてくれるように頼まれ、
中でも特に平家の「壇ノ浦」を何度も所望されました。
お侍さんは、その曲を何度も涙を流しながら聞入り、
弾き終わると、懐中からお金をつかみ出して、
それを与えてくれました。

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これまた「はて?」です。筝曲に「壇ノ浦」という
曲があったかしらん。琵琶なら解るのですが。
その娘さんは、お侍さんのために、即興で「壇ノ浦」を
歌ったのでしょうか。

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