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昭和2年生まれの航海日誌

かがしら 

2013年04月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 南港のシダレヤナギは見事であった。
        

 水が温み柳が芽をふく頃になると、私は決まって、
「かがしら」のことを想い出す。

 小学校へ入る前の年、近くを流れる櫛田川の井口橋へ
小学6年の兄に連れられてハヤ釣りに行った。

 井口橋というのは、村民が架けた橋で、長さ40間位で、
歩み板の長さは6尺、幅5寸、厚さ1寸の木橋であた。
そして、固定されたもんではなく、安全性は十分と言えなかった。

”かがしら”を流し、釣りを始めたが一向に釣れそうでもなかった。
 突然、ガッタと音がしたら。兄の姿が見えなくなっていた。

 歩み板もろともに、川に飛び落ちた。
 黒い服が流れていく、青い流れに入っていく、
どうした、どうした、どうなるものか。

 大声で何か叫んだようだが。わかったものではない。
やっと、浅瀬に打ち上げられ立ち上がった。

 帰らなければならない。
 帰る方向の歩み板が落ちている。 その隙間に青い流れが
見える。怖くて渡れたものではない。

 渡らなければどうしようもない。意を決して飛んだ。
身長1mばかりの子供にしてみれば軽業同様の芸当で
あったと思う。
 


 水の滴る服を着たままの兄と、2キロの道を無口でどうして
歩いたのかは記憶がない。

 兄弟が多く、何かと厳しい母であったが、この時は叱らなかった。
 危うく2児を失うところだった。この恐怖が阻んだのであろう。
 まだ、やっと30を超えたばかりであったのだから。

 後年、
 「歩み板が頭にあったていたら、どうなったであろう」と
母は私だけにその時の心情をあかした。

 母も兄も今はいない。
 兄と会ったら、三途の川を眺めながら、
あの時はなんと叫んだかを、聞いてみたい。

 

 

 


 

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