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たかが一人、されど一人

コンピュータ対プロ棋士 

2013年04月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

最近コンピュータが将棋のプロ棋士5人と対決して3勝1敗1引き分けだったか、兎に角圧勝したそうだ。囲碁は未だプロ棋士と戦えるほど優秀なものが開発されていないらしいが、それにしてもコンピュータの発達は想像を超えるものがある。どのような仕掛けか分からないが、基本的には人間の考えと同じように、相手の応手を先の先まで考えられるものを全て計算(予測)して自分の指し手を決めるシステムを急速に成長させているようだ。碁を打つ人は、囲碁の方は局面が広いので、当面コンピュータには負けないだろうと言っている。しかし素人考えで言うと将棋は、相手に取られた味方の駒が相手の駒に変わったりすることもあり、それなりにかなり複雑である。囲碁にしてもいつの日にかはコンピュータに敗れる日が来るに違いない。そのこと自体は半ば運命的であろうし、人類の科学技術の進歩とはそのようなものだろう。問題は科学技術を利用する人間の精神性の向上ではないか。科学技術の進歩で、人間は身体を随分使わなくて済むようになってきている。自分の人生においても、その省力化のスピードが年追うごとに上がりつつあることを実感せざるを得ない。身体は筋肉であると脳みそであろうと、使い過ぎても疲労して退化するかもしれないが、使わなくても劣化はしていくだろう。骨や筋肉が退化して死期を早める分には仕方ないかもしれない。しかし思考能力が劣化してアホな人間が増えるのは困ったものだ。それとコンピュータでは絶対置き換えられないだろうと個人的に思っているのは情緒の問題である。これも小生が思い込んでいるだけで、ある日将棋に負けたコンピュータが泣き声をあげたりするかもしれないが。情と言うものが身体のどこから発生してくるのか知らないので何とも言えない。プロのことはいざ知らず、我々素人は囲碁を打つにしても、その日その時の情緒で打つ手は勿論、勝ち負けに大きな影響が出るものである。ゲームソフトに限らずコンピュータに情なんぞ無い方が善いに決まっている。しかし情の無い人間は人として全く通用しない。高度化していくコンピュータに人間が振り回されるようになると、情の薄い人類が増えていくような気がしてならぬ。電車の中でスマホに見入って座り込んでいる青年が、前に立っている老人に気が付かずにいる光景を指摘する人が多いが、それも一つかもしれない。

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