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書の歴史を臨書する

臨書  米フツ書 蜀素帖(三) 

2013年04月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



米フツ
書においては蔡襄・蘇軾・黄庭堅とともに宋の四大家と称されるが、米芾は4人の中で最も書技に精通しているとの評がある。他の3人はエリート政治家として活躍したが、米芾は書画の分野のみで活躍した専門家であった。彼の題跋は今日でも王羲之や唐人の真跡を研究する上で最も重要な参考資料になっており、その鑑識眼は中国史上最高ともいうべきものである[4]。画においては米法山水の創始者として知られ、多くの人に模倣された。また、従来、専門家が行っていた篆刻を作家自ら始めた人物とも目されている。
 
蜀素帖
蜀素帖(しょくそじょう)は、元祐3年(1088年、38歳)の行書。蜀(四川省)で織られた素(絹)の巻物に書いてあるのでこの名がある。烏絲欄(うしらん、縦・横の界線)を織り込んだ絹本。絹目の効果によって潤渇が精彩を放って変化に富む。珍しい材質でしかも織り目が粗いため、かなり書きにくかったことと思われるが、六朝の筆意で米芾の本領を遺憾なく発揮し、中年期における代表作と評される。
本帖は元祐3年(1088年)9月、浙江省湖州の知事であった林希(りんき)に招かれ、湖州の地で林希の求めに応じて揮毫したものである。内容は米芾自作の詩8首を71行に書いている。

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