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平成の虚無僧一路の日記

「八重の桜」 鳥羽伏見開戦  

2013年05月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



先週「桶狭間」のイベントで見られなかった
「八重の桜」第20回を、東京の実家で、録画で
見ました。

いよいよ鳥羽伏見の開戦です。そこに至る経緯を
脚色をいれず、史実を忠実に描いていることに
うれしい思いです。すべては「岩倉具視」と
「西郷吉之助」の陰謀術数、策略だったのです。
さすが、孝明帝とその皇子(中川親王)の毒殺には
触れませんでしたが。

「徳川慶喜」の苦悩、それに振り回される会津。

「会津はいったい誰を敵にして戦っているんだろう」と
いう田中土佐の言葉がありました。会津の思いをよく
表してくれているものと感心しました。

そして「大政奉還で 徳川幕府は無くなったのだから、
さっさと会津に帰ってくればいい」との西郷頼母の言葉。
なるほど、そんな選択肢もあったかと。

しかし、京都の動乱の渦中にいる者には、そんな意見は
通らないと。「木を見て森を見ず」の誤りが 大火(禍)を
招く結果に。

大砲奉行「林権助」、そして八重の弟の「三郎」も戦死。
新撰組の「斉藤一」は「さすが会津武士」と。

この「八重の桜」では新撰組の近藤や土方はあまり顔を
出さず、「斉藤一」が前面に出ているのも特長です。

斉藤一は、明治以降も松平容保と交流を続けており、
なんと「容保」の仲人で妻を娶っているのです。
墓は会津若松市内の「阿弥陀寺」。なんと、私の母の
実家のすぐ南、檀家寺で、子供の頃よく遊んだ寺でしたが
「斉藤一」の墓があるとは知りませんでした。新撰組ブームで
最近、史跡めぐりの名所になっているようです。

「八重の桜」が会津藩を中心に描いているので、今まで
サブだった「斉藤一」にスポットを当てているのでしょう。
そんな意図が見えます。

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