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来待町・出雲狛犬を見に行く 来待石ミュージアム、菅原天満宮 

2013年06月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 
宍道町来待地区には、1,400万年前に形成された凝灰質砂岩いわゆる「来待石」と呼ばれる良質の石材が産出され、これが地場産業である国指定の伝統的工芸品、出雲石灯ろうの原材料として、広く知られています。
また、この凝灰質砂岩の層はとても厚く、日本でもまれな埋蔵地質帯でもあります。歴史的には古墳時代の石棺に使用され中世石塔、石仏、釉薬(石州瓦の上薬)、建材、灯ろう、石臼、かまど、棟石、墓石などにしようされ、身近なところにはいつも来待石がありました。
特に江戸時代、松江藩主は御止石として許可無く藩外に持ち出しを禁じたほど重要視致しました。松江械をはじめ城下町の至る所に来待石は使用されています。
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 


 

 



 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
  
 
                        菅原天満宮

 


   
鳥居後の嘉永五年(1852)

 
 
 
 
 
 
正面  

 
          二の鳥居

牛は菅原公と大変ゆかりがあります。
菅原道真公は、承和十二年(845)乙丑の年にお生まれになりました。
また亡くなられた後も、亡骸を運んでいた牛が北東
(丑寅)へ向かって進み、座り込んで動かなくなりました。
道真公のお墓はそこへ作られたので、天満宮には座った牛の像が多くあると言われています。
            来待石製の牛像
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
                
 
         石段

 石段上の新狛 平成十九年製
   
 
 
                      拝殿

 

境内社の
  青床?神社     厳島神社     粟島神社                   
 
境内社の両脇の狛犬 年代不明

 
 
本殿                      学問の神様菅原道真公の誕生の地と伝え、天歴五年(951)に創建されました。                 
松平直正(初代松江藩主)以来、代々藩主の信仰が厚く『雲陽大数録』では出雲国内の名社15のうちの一つに数えられています。                     

 
牛像と鳥居


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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