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人生いろは坂

活弁が終わり行事が済んだ 

2012年08月07日 外部ブログ記事
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 口演依頼を受けていた岡山と玉島での活弁が終わった。何故か活弁口演は夏の盛りの依頼が多い。
昨年もこの季節、瀬戸の方の活弁に出向いたことを思い出す。

 先日は岡山市で生まれた偉大な映画俳優「尾上松之助」の特集記事の中で私達の活弁も取り上げて
貰った。地元紙である山陽新聞朝刊の大きなスペースを割いての掲載であった。

 今や活弁を知らない世代が大半となった。活弁は死語となりつつある。活弁は言葉で説明しても
説明しきれない。ましてやその面白さは聞いていただいた人や見ていただいた人にしか伝わらない。

 活弁が盛んだったのは娯楽の少ない時代であった。ましてや地方の小さな町や田舎だと旅役者も
来ないようなところが多かった。そんな場所でも映画は簡単に移動できた。大きな舞台装置も必要
なく大舞台とおなじようなものを見ることが可能であった。

 そんな便利さもあって映画は瞬く間に大衆娯楽として広まっていった。その魁(さきがけ)と
なったのが舞台俳優から転じた尾上松之助であった。最初の出会いは京都だったという説と地元
倉敷の玉島だったという説がある。いずれにせよ尾上松之助と日活を作った牧野省三の出会いが
全ての始まりであった。

 尾上松之助は生涯千本あまりの映画に出演したと言われているが、残念ながら現存している
映画は数えるほどしかない。大半は保存の問題や老朽化によってフィルムが消えてしまった。
数少ない映画の一本が私達のデビュー作品である「豪傑児雷也」である。

 さて、活弁はかろうじて命脈を保ち今に続いている。数少ないプロの活弁士に佐々木亜希子と
いう女性活弁士がいる。私達夫婦(みょうと)活弁士むっちゃん・かっちゃんの誕生に関わった
師匠である。佐々木亜希子弁士との出会いがなければ夫婦活弁士の誕生はなかった。

 そして尾上松之助の「豪傑児雷也」との出会いがなければアマチュア活弁士としての今日の
活動はなかった。

 昨年は実に19回もの口演を行った。さすがに今年は昨年ほどではなさそうだが今も活動は
続いている。私が児島市民交流センターへ勤め始めた関係上、あまり負担になるようでは困る
のでほどほどが良い。しかしこの活動は続けていきたいと今も新作に取り組んでいる。

 活弁はフィルムを観て脚本を作ることから始まる。これがなかなか手間のかかる仕事である。
出来上がったからと言って決してそれで終わりではない。練習をしながら何度も修正を繰り返す。
こうして次第に形あるものになっていく。

 そしてバックグランドミュージックとも言うべきものが必要になってくる。無声映画時代の
映画館には活弁士がいて楽士と言われる集団がいた。この人達が音楽を奏でる。いわば影の
演出者でもあった。

 活弁士と楽士、そして映画と観客が一体となって会場の雰囲気を盛り上げていく。三位一体
ではなく四位一体で作り出すのが活弁の面白さ醍醐味なのである。

 今は作曲家に頼んで作曲して貰ったものを使っている。映画以外は全てオリジナルなものである。
また、脚本が同じだとしても活弁士一人一人の語り口は異なる。そして会場の雰囲気がその場
その場の雰囲気を醸しだし、それが活弁になっていく。

 いわば無限の面白さがあるのが活弁だと言えよう。活弁士となるのは大変だが一度面白さを
知ったら止められそうにない。それが私達活弁士としての背中を押す原動力になっている。


 話は変わるが児島市民交流センターが中心になって行う事業には自主事業と地域連携事業がある。
その内の一つが8月4日(土)に行われたハワイアンの夕べであった。長らく時間をかけ練ってきた
企画である。

 ことの起こりは単純であった。ラハイナレレという団体がウクレレなどの講座を開いている。
この人達が自分たちの練習成果を発表する場が欲しいということから始まった。それなら演奏だけ
でなくハワイアンフラもと言うことになり、そしてせっかく夏の盛りにするのだからビアガーデン
も良いなと言うことになってハワイアンとビアガーデンをセットにした計画となった。

 さして手間のかかるようなことではなかろうと思えたが、準備にかかると意外にアレコレ細々と
した準備が必要で実は大変だった。それでも予想以上の方々が集まって下さり、みなさんそれぞれ
から良かったよという言葉を聞かせて貰いホッとしている。

 何よりもこの行事に向けて組織したアシスタントのみなさんの働きが良かった。市民交流センター
はみんなに活用して貰う設備である。従って管理する一部のものだけのものではない。みんなに
喜んで使って貰うことによって価値が生まれる。

 そのためのサポーター役のようなものが私達事業を担当しているものの役目だと思っている。
今後も地元の方々との様々な発想や構想の中から新しいものを創造していきたいと考えている。

 当日出演してくれたラハイナレレ、ハワイアンフラのみなさん、そして大童(おおわらわ)の
みなさん、アフリカンダンスのみなさん、ご苦労様でした。そして陰になって支えてくれた多く
のアシスタントと食べ物や飲み物の準備をして下さったみなさん、そしてセンターの職員の
みなさん本当にありがとう御座いました。

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