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笹舟の人生雑記帳

旧川越街道を歩く 

2013年06月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 
旧川越街道・1日目
平成25年5月18日(土)
 
江戸日本橋より
板橋宿の平野追分で旧中山道と別れる旧川越街道は、
埼玉県川越市まで続く総距離43kmの脇街道です。
江戸時代には北方の抑えとして重要な位置にある川越藩だけに、
街道沿いは大変賑わったようです。
 

今回、私達ロングウオーキング倶楽部のメンバー9人で
この旧街道を板橋宿から河越まで2日間に分けて歩いてみました。


 

 



 

商店街の中の川越街道
ご覧の通り、
旧川越街道の前半は東京都板橋区と練馬区で
歩いても歩いても商店街が途切れません。
江戸時代の人が見たらこの華やかな商店街風景に驚くでしょうね。


 

たまご侍???
商店街には愉快な名前の商店がありますね。
「たまご侍」「達人のからあげ」等々、
でも、何故サムライなのか良く分かりませんが…(笑)
 

馬の歩道ポール
下練馬宿の商店街に
馬の形をした像が歩道に延々と並んでいました。
どうやらこの宿場町は馬の乗り継ぎ場だったようですね。
江戸に入る最後の宿場として
馬も人間も疲れた風体を見せたくなかったのでしょう。
 

国道と旧街道の分かれ道
ご覧の写真の左側が現在の川越街道(国道254号線)で
右側が旧川越街道です。
旧川越街道はこの国道と付かず離れず平行しており
商店街は殆んど旧道に伸びています。
 

やっと見つけた本陣跡
成増駅近くの膝折宿にくると
やっと旧街道らしき建物が見えだしました。
これは現存する脇本陣跡「村田屋」で
街道筋で当時の面影が残る数少ない建物です。
 

松平信綱の菩提寺平林寺
川越街道から約1.5kmほど脇に入った平林寺。
徳川家光の老中で「島原の乱」を平定した松平信綱一族の菩提寺で、
森閑とした武蔵野の森に抱かれた、
350年近い歴史と荘厳さが漂うお寺でした。
 
 
 
旧川越街道・2日目
平成25年6月15日(土)
 
いよいよ今日は旧川越街道の後半。
年間620万人もの観光客が訪れると言う川越は
小京都とも小江戸ともいわれる情緒あふれる
素晴らしい歴史の街でした。
 

鬼鹿毛の馬頭観音
その昔、秩父の人が急用があって愛馬・鬼鹿毛に乗って江戸に向かったのですが、
この大和田宿で大木につまずき転倒。
しかし、名馬だけあってすぐに起き上がり駆けに駆けて江戸に到着しました。
ところが、いつの間にか江戸で鬼鹿毛がいなくなり
仕方なく主人が帰途について元の大和田宿に差しかかると、
件の大木の陰に愛馬・鬼鹿毛の亡骸がありました。
 

 

ケヤキ並木の歩道が続く
大和田宿の外れまで来ると、
旧街道は美しいケヤキの大木が並ぶ緑道になりました。
とりわけこの日は梅雨の合間で蒸し暑く、
30度は越えていただけにこの緑のトンネルは大いに助かりました。
 

大井宿本陣跡
生垣の隅に「大井宿本陣跡」と言う小さな看板があり
覗いてみると、やけに広い敷地にそれなりの邸宅が建っていました。
どんな経緯でここに住まわれたのでしょうかね…。
 

藤島中宿跡
いもせんべい屋さんの前に
常夜灯を兼ねた宿場町の標識がありました。
説明板もないのでうっかり通り過ぎてしまいましたが
これでは旧川越街道沿いの遺跡保存としては寂しいですね。
 

デイサービスセンター
やっと古い家を見つけたので近寄ってみたら、
何と、デイサービスセンターに利用されていました。
 

平成の八百屋さん
これも大正時代か昭和初期の香りを残す古民家の八百屋さん。
近代ビルに挟まれて不思議なロマンを感じます。
 

 

小江戸川越の町
まるで江戸時代にタイムスリップしたような風景が続く川越の町。
近づいてみると重厚な蔵造りの家が立ち並び、
とてもウオーキングのついでに立ち寄るだけではもったいなく、
ジックリ1日掛けて見て回りたいものです。
 
以上、旧川越街道歩き 終

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