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平成の虚無僧一路の日記

8/23 今日は何の日 

2010年08月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



はて、私としては『白虎隊自刃の日』としか知らない。
即座に「官軍が城下に迫った日」と答えると、彼女は
「白虎隊が“じは”した日よ」という。

オイオイ、「自刃」は「じじん」と読むのだ。それでも
なんで知ってるのか、と嬉しくなって訊いてみると、
なんとカレンダーに 「 今日は 何の日 」 として書いて
あったとのこと。それはまた嬉しい。

今日は、会津人にとっては、150年経っても語り継がれる
日なのだ。旧暦の8月23日は、もう10月8日。北国会津
では秋雨が降り、肌寒い日だったのだ。

前日、母成峠が破られ、西軍が猪苗代に進撃してきた。
会津藩としては、成人部隊は日光、越後方面に出払って
いたため、残っていたのは少年と老人だけ。まさに風雲
急を告げ、君公自ら、老人と少年の白虎隊を率いて
滝沢本陣まで出向いた。

わが先祖も、牧原一郎は63歳で殿のお供をし、弟の
牧原奇平 61歳は、僧侶や力士まで駆り集めて戸の口に
向かった。

所詮、農民、僧侶たち。官軍の砲撃に驚いて逃散して
しまった。牧原奇平は、その責任を負って、その場で
自刃した。白虎隊たちも、怒涛の如き襲来に抗し切れず、
皆逃げたのだ。

牧原一郎も、殿様を護衛して甲賀口まで退き、足手まとい
になってはと、殿を見送ってから、甲賀口の自宅で腹を
切った。

牧原邸の隣家が「井上丘隅」。TBSの 年末時代劇『白虎隊』
では、森繁久弥が演じた。ドラマでは、最後まで生き延びる
が、実際は「井上丘隅」も甲賀口の防戦で殺られている。
ドラマでもあったように、甲賀口を守ったのは年寄りと子供
たちだった。あのシーンは一番泣けた。

こうした混乱の中、飯盛山で 白虎隊士 20人が 自刃した。

ネットで検索していたら「大窪山に眠る人々」として
「牧原奇平」の墓もアップされていた。墓があるとは知らな
かった。

今日の運勢「墓地に佇んでいる象。先祖の弔いをおろそか
にしないように」とあった。先祖を偲び『手向け』を吹く。
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