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尺八と横笛吹きの独り言

市民大学講座(俳優 相沢一之 氏の講演会)に行ってきました。 

2013年07月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

ミステリーツア・老神温泉・群馬太田の八木節研修旅行と三つが近接して、さらにはウオーキング、孫の世話で体が疲れて夏風邪を召され・・・・起きあがれないくらい節々が痛く、病院で薬をもらい、ようやく快復しかけている。まだ咳が出るが38.5℃が36.2℃の平熱に戻った。
 さあて、本日は7月6日(土)に市の市民大学講座に参加し聴講した内容の記事だ。
風邪でもキーボードはたたく。(死んでもラッパを離さず)
講師は俳優の相島 一之さん。演題は「俳優という仕事」

私などは相島一之さんて?・・・・はて?どんな人だったか。知らない人。この写真を見て、ウーンどこかで見たことがある。主役でなく脇役の方。たまたま市報を読んでいて無料とあったので応募したら・・・・当たりまして聴講することとなりました。
●話の内容は・・・・
自己紹介・自分に襲いかかった病魔・俳優のピラミッドの頂点でなく底辺にいる俳優という仕事・三谷幸喜との出会い・女優の美しさ・どうして演劇人になったか・挫折のお話し・・・・妻・息子(現在2ちゃい)・犬・猫・45才で結婚(妻は35才で結婚)
ラフな衣装で飲料水ペットボトルを片手にコメディアン風な帽子をかぶって演壇に登場。
演劇人だけあって、発音が明確に感じました。はっきりした口調で聞きやすい。自慢する風でなく、自分が感じるままに隠さず演劇人の日常を語った感じ。好感が持てる。自分は役者社会のピラミッドの底辺にいる人間とことわっている姿が素直で好感が持てる。
fueが練馬区で教員をやっているときの2回目の担任の時代の卒業生と同じ年代だ。1961年(昭和36年生まれの52才)。うーんあのときの時代の教え子と同じ、そのころとタブって聞いていました。
●自己紹介と俳優という仕事
進学校で有名な熊谷高校出身。相島家で始めてできた男の子。チヤホヤされて育った。長男の末っ子。物書きになりたい・・・・法学部をでて弁護士を夢見る。しかし挫折、二浪して立教大学法学部に補欠で入学。文学をやりたかったのに法学部に入っちゃった。大学では落ちこぼれ、同じ落ちこぼれ仲間が演劇をやっていてそこで演劇と出合う。大学は結局8年いた、爺様の年金を全部いただいてしまった(笑)。
 三谷幸喜とは同じ年で、まだ有名でないときに出合った。私は三谷幸喜との出会いがなければ俳優は続けていなかった。かれの脚本はそれだけにおもしろい。彼の能力を見て、私には文学の才能がないとわかった。
●俳優は「待つのが仕事」なんです。
1時間の番組では正味45分で作ります。これを6日間で撮る。1日7〜8分間しか撮れないのです。3分間の撮影のために朝の7時から12時間もかかります。手間暇がかかります。1番組で100名近くの人が関わって一つの番組が出来ます。
よくエキストラのアルバイト募集がありますが、あれはやたほうがええですよ。
待ち時間があまりにも多いですからね・・・・
●「俳優という者は、まな板の上の鯉。演出家はこの鯉の素材を料理してくれる。俳優は只の素材でしかない」・・・・相島さんから「私は職業俳優」という言葉が出た。深い言葉だ。
●病魔(GIST(ジスト) 消化管間室腫瘍)
10万人に一人の病魔。CTの結果10兮腓琉性の腫瘍が見つかる。ネットで捜し様々な医者に診て頂き、幸運にもすばらしい医者に突き当たることができた。幸運。手術が無事に成功。転移はなかった。
●奥さんとの結びつきの話しがおもしろい。
演劇仲間でした。初対面で「この女とは絶対に結婚しない女」・・・・そういう嫌いなタイプの女性でした。いわばマイナスの評定だった。
 それが、ちょこちょこっとプラス要因が見つかってきた。マイナスがプラスになるのであるから印象が深い。いまでは奥様に納まっているのだ。わからないものだ・・・・
逆に恋愛で最大ピーク、最大プラスで結婚すると・・・・マイナスがドンドン見つかり冷めてくる。そういうものだ。

●俳優 相島一之さん
 相島 一之(あいじま かずゆき、1961年11月30日 - )は、日本の俳優。
埼玉県熊谷市出身。藤賀事務所所属。埼玉県立熊谷高等学校、立教大学法学部卒業。身長176cm、体重63kg。剣道2段。
妻は脚本家の福島三郎のマネージメントを担当している。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
            
 
●図書館戦争に尾井谷隊長役で相沢一之さんが出演している。
『阪急電車 片道15分の奇跡』などの原作者、有川浩の代表作を基に、岡田准一と榮倉奈々が本を読む自由を守る自衛組織の隊員にふんするSFアクション。国家によるメディア検閲が正当化されている架空の社会を舞台に、“図書隊”の新人女性隊員が鬼教官や仲間たちに助けられながら、知る権利や本を読む自由を死守すべく戦いに身を投じていく。田中圭や栗山千明、石坂浩二など豪華なキャストが共演。『GANTZ』シリーズなどの佐藤信介がメガホンを取る。本格的な戦闘シーンと共に、登場人物たちの恋の行方からも目が離せない
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tyca/id344358/
●女優さんはほんときれいな方ばかりです。(彼が力説していました)
ある高校で可愛い美人な子がいたとします。隣町でもそういう子がいます。そしてそれらを勝ち抜いて全国的な美人が集まるのです。甲子園の野球と同じで、洗練された選抜された一握りの美人なんです。後光が差しています。沢口 靖子(さわぐち やすこ)さんなんかが稽古場に表れると後光が差していますよ・・・・ほんと美人です。そりゃそうです・・・・
甲子園で優勝するくらい選ばれた人なんですからね・・・・(笑)

 
●三谷幸喜さん(三谷さんの無名時代から知っており、今の演劇人を継続できている恩人。彼は三谷幸喜と呼び捨てで呼んでいる)
東京都世田谷区出身。世田谷学園高等学校を経て、名門である日本大学藝術学部演劇学科卒業。
「幸喜」という名前は、当時大関で、後に横綱となった大相撲力士、大鵬幸喜にあやかったもの。少年時代には、『とんねるず』の木梨憲武と同じサッカークラブに所属していた。
1980年代[編集]
大学在学中の1983年、劇団 「東京サンシャインボーイズ」を結成。初期には一橋壮太朗の芸名で自ら役者も務めていた。この時期には、テレビ朝日の深夜番組『ウソップランド』で視聴者からの映像作品を募集する「チャレンジビデオコーナー」へ自ら制作した作品を投稿し、それが採用されて放送されたこともあった。
演劇学科の3年後輩の太田光は、「三谷さんは学生の頃から、すごい人気者だった。日本大学のヒーローだった。自分は教授とケンカしたりして演劇を諦めたから、今でも三谷さんにはコンプレックスがある」と、2006年に自らの番組『スタメン』に三谷がゲストで出演した際に語ったが、三谷は後に著書で「番組内では黙っていたが、太田の認識ほどの人気はとてもじゃないが無かった」と書いている。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


●ここでなぜか・・・・「夏の朝のラジオ体操の会」保護者通知文紹介。

7月20日から恒例の25年継続している朝のラジオ体操が始まる。恒例が高齢と変換しました、そうです高齢者(65才が)指導致します。
よっしゃまた頑張ろう。ゴホンゴホンマダ咳が出る。

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