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たかが一人、されど一人

考えること 

2013年07月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

最近老人惚けが激しくなってきたようだ。居眠り、物忘れ、勘違いが甚だしい。仕事から完全に解放されると、時間管理がルーズになり緊張感が大分薄れてくるのかもしれない。昨日もブログを書き忘れてしまった。夕食の時に思い出したが、態々自宅で書くほどのことも無いのでそのままにした。婆さん曰く「同じような年齢の方が車を運転していることを考えると恐ろしくなる。」逆説的に言えば、日常的に車を転がしていた方が脳神経のどこかに緊張感が残って老化防止になるかも、なんて思ったりもするが時すでに遅し、車も免許も無い。人間のことを「考える葦」と言った人もいるが、考えなくなったり、考えているつもりで全くトンチンカンなことを思い浮かべるようになっては世も末だ。ブログ書きだけが唯一のルーティンワークであるのも寂しい限りではあるが、他にクリエイティブな発想は出てこない。40年ほど前にアメリカに行った際に聞いて記憶に残っていることがある。「これからの時代は如何にクオリティー・オブ・ライフを高めるかが問題となる。」意味がよく理解できなかったので質問したら「生活が如何にクリエイティブであるかということになります。」益々分からなくなったので質問を続けられなかった。その意味がここに来てやっと解るようになった。今不足しているのはそのクリエイティブと言うやつに違いない。問題はそれがどこに存在するのかである。脳みその中だろうか?とすれば些か手遅れの感も否めない。あれほど希った大量の自由時間を持て余すとは。グループメールなど見ていて、「他用があり、残念ながら欠席」なんて文言を見るとちょっぴり羨ましくさえ思える今日この頃である。考えることが無い人間をパスカル先生に言わせると「残るのは、ただ孤独で弱く、風になびくしかなく、人としての尊厳を失った抜け殻の身体だけ」になるそうだ。これもまた少し寂しすぎるな。昨日さぼったので今日は早めに書いてアップしておく。

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