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「ブログ開設2か月」 

2013年09月05日 ナビトモブログ記事
テーマ:暮らし

私たちが若かった頃は、インターネットもなかったし、ホームページもなかった。

 こういう時代にメディアに自分の意見なりを伝えるには、新聞や雑誌に投稿したり、ラジオやテレビの意見募集の企画に応募するぐらいしかなかった。その結果として、自分の意見なりが人様の目に触れる確率は、極端に低いものだった。

 ところが、今の世の中は違う。ネットを見れば、ブログがあふれている。

 こういう状況変化が起こったのは、そんなに古いことではない。

 インターネットなるものが考案され、ビジネスや文化に大きな影響を与え始めたのは、1990年代半ば以降のことである。
 個人や家庭でもインターネットを使えるようになり、急速に普及し始めたのは、21世紀に入ってからのことであり、たった、ここ12、3年のことにすぎない。

 アップルがアメリカで「iPhone(アイフォーン)」の発売を開始したのが2007年だそうだから、インターネット利用がより一層加速されたのは、おそらくここ数年のことと言っていいだろう。

 今や、ネットは、ブログのオンパレードである。一つのブログサイトで登録ブログ件数が100万件を越えるのは、珍しくない世の中だ。


 巷にあふれるブログの内容は、様々であり、種々雑多である。極端な言い方をすれば、人の数だけ、意見があり、物事の感じ方や表現の仕方も違うからだ。

 今は、メールを打つことができさえすれば、誰でもブログ記事を書き、それを投稿し、誰かに見て貰うことができる。どこの誰に見て貰えるのかは分からないが、見てくれる人がゼロということは、まずありえない。

 自分が書いたものを誰かに見て貰えるとなれば、書く張り合いが出てくるというものだ。

 人に見て貰うのだから中身を吟味しなければ、という具合に、あまり気を回す必要もない。論より証拠、目に入るブログ記事の数々を見れば、一目瞭然だ。

 ただし、あまり気を回す必要もないということだけであって、気を回すことができるのであれば、回すに越したことはない。

 考えてみれば、自分が書いたものを人に見て貰えることは、自分の意見や考え方に賛同して貰える可能性があるということだ。

 その可能性は、直接的な場合もあれば、見た人が書いたブログ記事を更に誰かが見て、という具合に間接的に、あるいは間接の連鎖が更に続いて、となる場合もある。

 こう考えると楽しい。自分が考えたことを自分が実現できなくても、それを見た誰かが実現してくれることだってあり得るからだ。


 去る6月26日に、私は、初めて、「99歳の最高賞受賞者」と題してブログ記事を書いて投稿した。 
 文挟(ふばさみ)夫佐恵さんが史上最年長の99歳で俳句界最高の栄誉と言われる蛇笏賞を受賞したことについて書いた。
 私は、そのブログ記事で、「どうやら、「敬老」ということの意味合いを考え直さなければならないようだ。人間は、とりわけ平成に入ってからの人間は、歳とともに進化をし続けていく生き物であるらしい」と書いた。
 また、「老いてますます、身体・精神の健康とともに進化し続けるならば、素晴らしいことだ。むしろ「老い」とか「老人」という言葉自体がふさわしくなくなってきているということではないか」と指摘もした。

 それから、2か月が経過した。この間、書いたブログ記事は、60件を越えた。ブログ記事を書き続けることは、それが暇つぶしだけでなく、そのほかにいろいろな効能や大きなメリットがあることを私に教えてくれている。


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