メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

ZRX1200S城

尾道名工の狛犬がある神社 向島厳島神社 

2013年09月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 向島厳島神社尾道名工の狛犬が居る神社

     何か座っています

    手水の上に狛犬が乗っかっています。
    阿形しかいません

右足は折りたたみ         左足は伸ばしています
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   手水の上半分は一刀彫

 
  石工 玉光太兵衛 
天保六(1835)乙未  
         
             玉光太兵衛 
文化十三年(1816)から弘化二年(1845)まで9点の作品
が確認されています
十六羅漢像や仁王像などの石仏、山王神社の猿狛など独創的な技術に優れています。
他の石工と連名の作品もあり指導的な立場にあったと考えられています。
                  山王神社の狛猿
 
 
 
 
 
 

            拝殿前の狛犬

         鳥居勘十郎奉延の作                


 石工 勘十郎 奉延    天保二(1831)


 
 
      
 
 
 
 
 

                  
             吽 背中

勘十郎狛から太兵衛狛を見る


 
     
                  
 
                      拝殿
厳島神社は江戸時代初期、安芸広島藩浅野家のお抱え豪商、「天満屋 浄友」によって尾道水道に面して開拓された富浜古新田(塩田)の守護神として、延寶八年(1680)向島明神島の現在地に建立されました。

天満屋は浅野藩主に伴われて紀州和歌山から広島に来り魚問屋及び酒造業に従事し産を成し、藩に乞うて尾道水道一帯に天満屋新開地を築調し、この新開地開拓に従事した人々の慰霊と塩田守護の為、新開地の東方に位置した、亀山に岩屋を掘り、その中に社殿をしつらえました。
天和三年(1683)更に新たなる社殿を建立し、厳島明神を勧請し「富島大明神」と称しました。

正徳四年(1714)当地に疫病が流行し、当浜祈祷の為烏崎地区に御神幸し、以来毎年6月17日に烏崎にご神幸される(これが管弦祭の起源となっている)夏祭りが盛大に行われています。
明治維新に「厳島神社」と改称し、明治5年旧社格村社に列せられました。
以来、海の神様として尾道水道を行き交う船舶の守り神、造船の神、魚業の神、交通安全の神として、又ご祭神市伎島比売命はえびす神の化身とされ、商売繁盛、家内安全の守り神として更には、神言を代行する宣託の神として近郊の氏子・崇敬者の信仰深き神社として日々多くの参拝者をお迎えいたしております。
                           神社ホームページより

                       本殿

                正一位栄島稲荷神社

           稲荷社の後に砲弾碑があります
          径200長さ600位

穴が空いています


                  富島浄友の墓


 
 
 
 
     
 
 
 

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ