メニュー
最新の記事
-
わさおの俳句ポスト投稿・全員投稿、105回目 -
わさおの俳句ポスト投稿・全員投稿、104回目(備忘録) -
わさおの俳句ポスト投稿・全員投稿、103回目(備忘録) -
わさおの俳句ポスト投稿・全員投稿、102回目 -
わさおの俳句ポスト投稿・全員投稿、101回目
テーマ
- ことば ( 8 )
- はやぶさ ( 2 )
- わさおの時事川柳・五行歌 ( 23 )
- わさおの短歌 ( 3 )
- わさお的ダイエット術 ( 19 )
- わさお的ネット活用術 ( 9 )
- わさお詩集 ( 54 )
- スポーツ ( 66 )
- ラーメン ( 11 )
- 人生 ( 459 )
- 人生は素晴らしい ( 9 )
- 俳句の勉強 ( 3 )
- 俳句ポスト投稿 ( 305 )
- 俳句教室 ( 42 )
- 宇宙 ( 4 )
- 日本人の素晴らしさ ( 1 )
- 昭和歌謡 ( 1 )
- 暮らし ( 295 )
- 津軽 ( 18 )
- 相棒 ( 4 )
- 私の備忘録 ( 3 )
- 花 ( 8 )
- 髪 ( 1 )
カレンダー
月別
- 2020年01 月( 3 )
- 2019年12 月( 1 )
- 2019年11 月( 3 )
- 2019年10 月( 1 )
- 2019年09 月( 2 )
- 2019年08 月( 2 )
- 2019年07 月( 2 )
- 2019年06 月( 2 )
- 2019年05 月( 1 )
- 2019年04 月( 2 )
- 2019年03 月( 2 )
- 2019年02 月( 2 )
- 2019年01 月( 2 )
- 2018年12 月( 2 )
- 2018年11 月( 2 )
- 2018年10 月( 2 )
- 2018年09 月( 3 )
- 2018年08 月( 3 )
- 2018年07 月( 2 )
- 2018年06 月( 2 )
- 2018年05 月( 2 )
- 2018年04 月( 4 )
- 2018年03 月( 5 )
- 2018年02 月( 4 )
- 2018年01 月( 3 )
- 2017年12 月( 4 )
- 2017年11 月( 4 )
- 2017年10 月( 3 )
- 2017年09 月( 2 )
- 2017年08 月( 6 )
- 2017年07 月( 4 )
- 2017年06 月( 4 )
- 2017年05 月( 5 )
- 2017年04 月( 6 )
- 2017年03 月( 4 )
- 2017年02 月( 4 )
- 2017年01 月( 5 )
- 2016年12 月( 10 )
- 2016年11 月( 11 )
- 2016年10 月( 27 )
- 2016年09 月( 26 )
- 2016年08 月( 32 )
- 2016年07 月( 31 )
- 2016年06 月( 29 )
- 2016年05 月( 31 )
- 2016年04 月( 31 )
- 2016年03 月( 30 )
- 2016年02 月( 29 )
- 2016年01 月( 32 )
- 2015年12 月( 31 )
- 2015年11 月( 30 )
- 2015年10 月( 31 )
- 2015年09 月( 29 )
- 2015年08 月( 31 )
- 2015年07 月( 31 )
- 2015年06 月( 31 )
- 2015年05 月( 31 )
- 2015年04 月( 29 )
- 2015年03 月( 32 )
- 2015年02 月( 27 )
- 2015年01 月( 32 )
- 2014年12 月( 31 )
- 2014年11 月( 30 )
- 2014年10 月( 31 )
- 2014年09 月( 30 )
- 2014年08 月( 31 )
- 2014年07 月( 31 )
- 2014年06 月( 30 )
- 2014年05 月( 32 )
- 2014年04 月( 30 )
- 2014年03 月( 31 )
- 2014年02 月( 29 )
- 2014年01 月( 32 )
- 2013年12 月( 30 )
- 2013年11 月( 31 )
- 2013年10 月( 29 )
- 2013年09 月( 30 )
- 2013年08 月( 32 )
- 2013年07 月( 32 )
- 2013年06 月( 2 )
人生日々挑戦
「ふるさと考」
2013年10月17日
テーマ:人生
不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸われし
十五の心
漂泊の詩人、石川啄木さんの短歌であり、三行詩である。
啄木さんの生涯は、1886年(明治19年)2月20日-1912年(明治45年)4月13日の26年間という短いものであった
「不来方」は、「ふらいほう」と読むのではなく、「こずかた」と読む。
岩手県の県庁所在地の盛岡市。その盛岡という都市名で呼ばれる前の呼称が不来方であった。
昔々、南部藩の本拠地は、青森県の三戸(さんのへ)から盛岡に移されたが、その当時の盛岡の呼称は不来方であり、お城は不来方城である。
私は、数多くある石川啄木さんの名作の中で、この「不来方のお城」の歌が一番好きだ。
「不来方のお城の草に寝ころびて」
盛岡中学の生徒である啄木さんは、学校の近くにある盛岡城趾の草原で仰向けに寝ころんだ。桜の樹々越しには、真っ青な天が広がっている。
「空に吸われし」
自分そのものが天空に吸われていくような気分。大変にいい気分だ。「吸われし」だから、その時の情景を思い出しているのだ。
「十五の心」
盛岡中学の生徒である十五歳の啄木さんの心。そこには、屈託のない啄木さんの微笑みがある。
26年間という短い生涯の啄木さんがこの歌を詠んだのは、成人後で流浪の苦しい状況の時だろう。「十五の心」の頃は良かったなあ、と懐かしみ、ふるさとを思っている。
ご自分が間もなくして生涯を終えるであろうことは、 知る由もない 。
啄木さんの生涯で「不来方のお城」の頃が最も幸せだったろう。
先日、日がな一日、ネットで遊んでいたら、「私には故郷がない」とのブログ記事に出くわした。
曰く、「私にはふるさとがない。そう思ってずっと生きてきた。東京生まれで東京育ちの私は、大学時代に、地方から東京に出てきて、また地方へと帰っていく友人たちを見るにつけ、故郷があるっていいなあ、とうらやましく思っていた」
この記事を見た瞬間、私の頭の中で、漫才師の大木こだま・ひびきさんの得意ギャグが炸裂した。「そんな事はないだろう」
数年前に、大阪のなんばグランド花月で大木こだま・ひびきさんの漫才を生で観た。「どやさ」のオバちゃんたちも面白かったが、こだま・ひびきさんも負けず劣らず、面白かった。大阪は、面白い街や。
石川啄木さんが詠む「不来方のお城」は、東京生まれで東京育ちでなかろうがあろうが、誰にでも必ずある。
例えば、東京の下町だ。生まれも育ちも葛飾柴又の寅さんにとって、帝釈天や矢切の渡しが「不来方のお城」だ。
「私は下町でなく、六本木なんですけど、どうなんでしょうか」と茶化す声が聴こえる。
あるとも。六本木ヒルズに住んでいる人にとっては、さしずめ毛利庭園が「不来方のお城」だ。
そして、その人にとっての「不来方のお城」がある辺り一帯がふるさとなのだ。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と歌ったのは、室生犀星である。しかし、ふるさとは、遠きにありても、近きにありても、否、ふるさとそのものにありても思うものである。
これは、石川啄木さんにも当てはまる。盛岡で生活していたときも、青森県や北海道を流浪したときも、東京で食い詰めたときも、啄木さんは、「不来方のお城」がある辺り一帯のふるさとをいつも思った。
ふるさと思い涙ぐむのは、遠きにありてだろうが、涙ぐんでも涙ぐまなくても、人は、常にふるさとと共にある。ふるさととは、そういうものだ。
ふるさとを離れた人にとっては、ふるさとは、自分が帰れるところである。自分のスタート地点である「不来方のお城」には、いつでも帰れる。帰れば、誰かしらが迎えてくれる。ふるさととは、そういうものだ。
ふるさとを離れずに生活を続けている人も、例えば、2万キロ離れたところに生活の本拠を構えた人も、ふるさとを思う気持ちは同じだし、ふるさとの八百万の神様たちは、両者を分け隔てなく、見守っていて下さる。ふるさととは、そういうものだ。
ブログにご訪問下さり、ありがとうございます。
私の人気ブログランキングへの応援のため、よろしければ、
ポチッと↓をクリックして下さると助かります。
http://blog.with2.net/link.php?1546952
コメントをするにはログインが必要です
こんにちわ〜
私は先日故郷へ帰省してきました。
私も思います、故郷がないと良く耳にしますが。
生まれた所が故郷かと、だれかしら、出迎えてくれる
私は此方にきて4年ですまだ、故郷は懐かしいです。
涼しいと云うか、さむいほどに感じます。
風邪には気をつけましょうね。
2013/10/18 14:13:42