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明日香、飛鳥の違い? 

2013年11月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



明日香村を散策しました

飛鳥時代、蘇我氏の歴史、教科書で学びましたが、どの程度遺跡が有るのだろう?
明日香へ訪れる人・遺跡も少なく、観光地としては、京都・奈良市から取り残された場所です




明日香では、未完成に終了した寺院

蘇我入鹿の首塚(?)



聖徳太子の偉業

明日香の都バーチャル図



蘇我氏が住居構えた甘橿(あまかし)丘からの明日香村

飛鳥時代の始め
古墳時代は、王権をめぐり対立が絶たえませんでした
仏教をめぐり、蘇我氏と物部氏の争で蘇我氏が勝利しました
蘇我氏と聖徳太子の連携で、天皇を中心とした律令国家が築かれました

聖徳太子の政治
太子の政策は、仏教を基調とし、冠位、憲法を制定し、皇室の権威を高めました
仏教寺院を建立し、仏教の興隆に努め、建築や彫刻技術は飛躍的に進歩しました

聖徳太子の没後
政治の実権は、蘇我氏に戻もどり、太子の子は自殺に追いやられました
蘇我入鹿は、中大兄皇子(天智天皇)に倒たおされ、豪族の政権は終了しました
中大兄皇子が天皇に即位し、壬申の乱で天武天皇が即位しました
大宝律令の制定等、聖徳太子の政治理念は、受継れこの時代に確立しました

明日香と飛鳥の違い
奈良時代「明日香」縁起が良い(日という字が3つ)「明日香」が普及しました
歌の「枕詞」で「飛ぶ鳥の明日香」用いられ、「飛鳥」と書いて「アスカ」としました

明日香村の命名
3つの村が合併した時、ひとつが「飛鳥村」で「飛鳥」の字を使わず「明日香村」としました
地名・自治体名を表すときは「明日香」を用い、時代は「飛鳥」で表記しています>

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