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たかが一人、されど一人
読後感「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」門田隆将著
2013年12月11日
テーマ:テーマ無し
約1年前に発売された時から、いつかは読まなければいけないと思いながら、やっと読むことが出来た。主人公の吉田昌朗氏は残念ながら今年の7月9日に亡くなられてしまった。死因は食道癌と公表されている。著者門田氏はその約1年前に闘病中の吉田氏に4時間に亘るインタビューをして、この作品を書いている。両氏とも吉田氏に死期が迫っていることは十分承知しながらのことであったに違いない。書名からして主人公が吉田氏であると思うのは当然だが、実はそうではない。主人公はあの311東北大地震と大津波に襲われた、東京電力福島第一発電所そのものと見るのが正しいように思う。登場する人物も所長の吉田氏は勿論だが、主役は彼一人ではなく、当時現場にいた約600人の従業員、協力会社員に加え救助に駆け付けた多くの人が登場する。それが著者の力量なのだろうが、原発サイトそのものを主役として、書き起こしは戦時中そこに置かれた陸軍航空隊の飛行場と、後にサイトに勤務することになる重要な原発運転員の少年時代をを描いている。ノンフィクションだから多分事実と思いたいが、特攻の訓練基地であったかのような書き方になっている。伏線に陸軍や特攻隊を持ってきたのは何故だろうか。読後初めて理解が出来るようになるのだが、ここでも書名にある500日との乖離があり、実際に描かれているのは3月11日から約1週間のことである。著者が吉田氏にインタビューできたのが地震発生後500日目だったのだろう。しかしこの1週間に起きた出来事は、本当に生死を掛けた戦争によく似たものだったようだ。これまで生の映像や関連記事、事故報告書等を読むことでイメージしていたものとは全く異なるシーンが脳裏に焼き付いた。例えると、硫黄島での栗林中将の最後の闘いを描いた「散るぞ悲しき」を読んだ時と同じような迫力がある。硫黄島は飛んでくる砲弾であるが、原発サイトの放射能は隙間が無いだけに砲弾以上に恐ろしいものだ。勿論現場の人間はその恐ろしさについて十分承知しているが、無知とは恐ろしいもので、私自身は認識が無かったのが事実。多分マスコミ報道が自主規制していた節もありそうだが、多くの国民は今でもあまり認識はないだろう。今度の事故と過去の戦争に共通するのは、現地の事情に対する認識のずれである。戦争で言えば大本営の参謀本部、事故の場合は東電本社や官邸であろう。そこにどんなに優秀で経験豊かな人材が居ようと、ずれを回避できない。後方から口を出せば現場は混乱するばかり。ここのところが実に生々しく書かれている。極端に言えばあれほど悪者にされている菅元総理にしても、当時の言動は総理としてとても認める訳にはいかないが、ある意味では混乱の極みにおける犠牲者の一人かも知れない。放射能との戦いも、実に多数の不眠不休の闘いが続き、事故から1週間後くらいには、各炉に冷水が連続して注入できるようになって一応危機的状態は脱する。しかし戦いが終わるわけでもなく、幸運に恵まれたとした方が良いようである。読み終わって思うのは、当時現場で働いた人が浴びた放射線量の多さについてである。吉田所長の死因は無関係と公表された。被曝の結果がどうなるかを承知しながら、原子炉の冷却を続けなければ日本の3分の1が滅びることを知っていた人達が現場にいたこと。そんなことは知らなても、当たり前の任務と思って黙々と作業する人たちのこと。読んでいるうちに涙が出てきた。その大部分は無名で終わる筈だが、被爆者の数は半端でない筈だ。将来不幸な結果にならぬことを祈るばかりである。
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