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都わすれの「「ベガルタ応援日記」

訃報 o(;△;)o 

2010年09月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

今しがた浴室に干した洗濯物をたたんでいたら、嫁さんが「お母さん 山田富也さんが亡くなったんだそうです・・・今テレビでやっていました」って、知らせに来てくれ・・・その後メモを持ってきてくれた。


程なくしてまた嫁さんがやってきて「ありのまま舎から電話がありました」と、明日の「前夜式」と翌日の「葬儀」の時間を知らせてくれた。


しばらく行ってなかったから「行かなくちゃ・・・」って、思っていたところだった。


9月10日発行の新聞「自立」が届いたのが先週で、まとめて本にもなった「聖芯源流」には7月末に、10年ぶりで入院し一週間ほど「意識」もなかった・・とあった。


呼びかけには答えるものの、本人は全く覚えてなかったとあり・・・「退院した」とは書かれてなかった。


山田富也さんのすぐ上のお兄さんの秀人さんは(三兄弟で末っ子だった)、私が仙台一高の通信制に入学した時同期の39年度生だった。


その頃から「機会があれば・・」って思いつつ、家庭の事情などもありお会いする前に秀人さんはお亡くなりになり、富也さんだけになっていた。


山田富也さんを初めて訪ねたのは、退職前の5月で実際にお会いできたのは二度だった。


体調が悪かったり風邪が流行っていたりでは、勿論面会など出来ないからありのまま舎に向かっても、決して「お会いしよう・・」と思って行くわけじゃなかった。


その後は新刊が出るたびにまとめて購入して、友達に配ったり・・少しで「ありのまま舎」を分かって欲しいと思ってきた。


「聖芯源流」には自室の窓から見られる「四季折々」の様子がつづられたりしていたから、ある時思いついて私が行ったところで写した拙い写真をA4サイズにプリントして届けたら、とても喜んでいただき他の方にも見ていただくようにと廊下に展示してくださり、「また楽しみにしています」と必ずお礼の手紙やハガキが届いていた。


8月3日に行ったハスまつりとひまわりの丘の写真は、車に積んだままで蔵王のお釜の写真をプリントして届けようって思っていたが、義母が亡くなったりでまだ行ってなかったことが心残りである。


以前お元気な時には「ブログ」も書かれていて、確か「いくらや筋子」の話があり私は「コレステロール値が高く、自分で買わないで頂いた時だけ喜んで・・」ってコメントを書き込んだら、後日職員の方が「山田富也さんから」と筋子を届けてくれたこともあった。


メールを送ったら(職員の方がプリントして渡してくれる)「郵便屋さんが届けてくれる手紙も好きです」との、返信を頂いたことがあった。


富也さんが下さるお手紙より私が差し出す手紙の数は、半分だったかも知れない・・・!


「聖芯源流」の最後には「自分の人生を大事に生きられる社会にしたいという思いに、また新たに触れ合う思いだ」と結ばれていた。


「筋ジストロフィー」と言う難病と闘いながら、最後まで精一杯生き抜いた山田富也さん・・・心からご冥福を祈りたい   合掌

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