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人生いろは坂
ワクワクするようなお話を二つ
2014年02月05日
テーマ:テーマ無し
出会いと言うものは不思議なものだ。そして、とどまるところを知らない。それはまるで連鎖反応のように広がっていく。
昨日は大切な出会いが二つあった。一つは街の活性化や観光につながるもの。もう一つは学校と地域を結ぶもの、子供たちの
健全育成につながるもの、更にいえば高齢者の福祉にもつながるもの。いずれの出会いもスピリッチャルなつながりになりそうだ。
話は変わるが昔の篤志家と言われる人たちは多くの書生を抱えていた。それら書生はいずれ劣らず優秀な人ばかりで家の
都合で進学できないような人が多かった。こうした人たちに家事をやらせながら学校に通わせていた。こうして立派な社会人に
なった方が少なくない。
私の知っている人の中にも野崎家に書生として奉公しながら学び、後には満蒙開拓団の団長として満州に渡り、終戦になって
帰国し蒜山の開拓に携わった人がいる。親戚ではなかったが家内の父が兄のように慕ってた人で、何度か家を訪ねたことがあった。
今も蒜山の実家の前には大きな歌碑が立っている。開拓の苦労を詠んだTさんの短歌である。Tさんは今も地域の人に慕われて
いる。
この世の中は言うまでもなく人の世の中である。金が支配する世の中ではない。しかし世間は皮肉にも金が支配する世の中の
ように見える。開発途上国やこれからと言う国に幾らODAで設備を供与しても意味がない。その国はその国の人が作っていく
ことであって、そのためには人材の育成が必要になってくる。人材を育成するためには学校が必要だ。全ては教育がその国を
育てていく。国の支援は学校建設や教育に使われるべきであろう。
お金は恵まれない人たちの教育のために使われるべきだ。金持ちは投資のためにお金を使うのではなく、人を育てるために
使わなければならない。それが仏教でいうお布施と言うものであろう。何もお布施は神社仏閣のためにだけあるのではない。
昨日は午前中を二人と午後を一人の若者と行動を共にした。二人は芸術家と建築家である。スピリチャルな精神の持ち主で
真剣に町おこしや観光のことを考えている。自分たちが持っている知識や能力を街のために生かしたいと考えている。
彼らの純粋な行動力に痛く敬服し、ひと肌もふた肌も脱ぎたいと思い、ある人を通じてある人に引き合わせることにした。
そしてその出会いが実現した。全てはこれからのことではあるが、一年後を楽しみに詳細は後日始めて改めて書いてみたい。
もう一人は小学校の先生である。今は特殊学級を担任しておられる。この人の考えが誠に素晴らしく夢は多岐にわたる。
認知症の予防についても学んだと言うことで教材を見せて貰ったが、大人も子供も一緒になって楽しめるような教材だ。
そして楽しみながら認知症予防にもなり、老人と子供が心通わせる場にもなると言うことで今までにない展開になりそうだ。
そもそもの出会いは私の理科好きからであった。センターで子供たちが喜ぶようなことを何かをしたいと思っていた矢先に
センターで子供たちを集め様々な理科実験を遊びを通じて伝えていこうという先生たちに出会った。先生たちの試みは
子供たちに理科に親しみを覚えて貰うことから始まった活動のようであるが、聞けばその目指すところは理科だけに止まらず
実に広く深い。従来は、それぞれベテラン先生のノウハウであった教育方法について広くみんなのものとして共用していこうと
言う考えに基づいているようだ。
そして、Nさんと言う先生の夢は子供観光大使を育てることや地場産業の体験学習を通じて郷土愛を育てようなどと限りなく
広い。昨今、若者達の中に今の生き方やあり様に疑問を感じ、何とかしたいと生き方を変えようとしている人が増えている。
それを支えていくのが幾多の経験と辛酸をなめてきた私たち世代の役目ではなかろうか。今はそう心に決めて行動している。
多くの若者よ立て、そして困ったことがあったら遠慮なく相談してほしい。共に悩み、共に考え、共に行動しよう。
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