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たかが一人、されど一人
オリンピックと冬の想い出
2014年02月07日
テーマ:テーマ無し
いよいよ冬季オリンピックの開催だ。日本選手の活躍も期待したいが、昨今の物騒な情勢を思うと、何よりも平和、無事に終了することを願ってやまない。日本も一昔前まではスキーもスケートも庶民のスポーツだった。郷里の長野は子供の頃雪がたくさん降ったような気がする。道であれ、お宮の階段脇の斜面であれ、雪が降り積もれば、近くの子供が湧き出て、幼い子供は先ずそり遊びから始まる。兄貴に手伝ってもらい、ミカン箱や薪なんぞを工夫して小さな台を作り、下に竹スキーを打ち付けて出来上がりだ。竹スキーは荒物屋で売っていたが、長さは1尺の物差し大で、幅を少し拡げて先端を炙って反らせたものである。少し学年が進むと、その竹スキーを長靴の下に置いて、立って滑るのを楽しむことになる。これがスキーの始まりで、更に学年が進むと木のスキーの登場となる。このスキーを履くようになると、出来るだけ長いスロープを求めて少し郊外の方へ足を伸ばし始める。そんな道路には市内のあらゆる学校の小学生が集まっている。多分もう小学校の高学年だったろう。こうなると一端大人の気分で、滑る順番や危険防止対策なんかについても、知らぬ同士が声を掛け合い、何となくルールを作っていた古き良き時代だ。スケートにしても大体似たようなもので、長野市は氷の張る池が少なかったので、余りメジャーにはならなかった。しかし4年生の冬を松本で過ごした経験で言うと、冬になると校庭に水を撒いてスケートリンクが出来上がる。冬、体操の時間は毎週スケートだったような記憶がある。学校にスケート道具の準備は無く、スケートは父兄の負担だったような気がする。下駄の裏にエッジを打ち付けたもので、鼻緒を支点として1メートル位の真田紐で草鞋でも履くように足袋裸足に縛り付けるのである。この授業も楽しかったし、下駄スケートを履くだけでも、子供たちの手先がある程度器用になったのではないだろうか。少なくとも長野県では、このように平均的な子供の遊びまたは体育から始まっているので、スキーやスケートはブルジョア階級のお遊びではなかった。小学校低学年時代の長野市は、トラックをたまに見るだけで乗用車なんぞ皆無に近かったのだろう。道路は当然無舗装で、子供の雪遊びの邪魔になるのは馬が木材を引きずった跡くらいのものだった。そんな時代からスキーに馴染んでいたので、大学を卒業する頃はのめり込んで、冬中志賀高原に入り浸っていた。大学生になる頃には、猪谷選手がイタリアのコルチナで開催された冬季オリンピックで銀メダルを獲得し、スキーがサラリーマンやOLの冬のレジャーになっていくことになるが、こちら1963年サラリーマンになったのを契機にスキーを止めてしまった。怪我をしたら元も子もないと思ったし、両親や会社の上司からも忠告されたのだろう。結局10年少したってから、少しずつ滑り始めた。25年目に転職すると、会社の社長さんが逆に誘ってくれたので50歳前後から毎年行くようになり、娘に教えたり、孫が小学校に上がると、孫のコーチになったりしたが、その時期も終わってしまった。それでも最近は、年に1回高校の同期性が集まるスキー会があるので、それが唯一の機会となっている。こんな思い出に浸りながらテレビ観戦をして、日本選手に声援を送りたい。
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